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KGK大嶋重徳主事の巡回日記

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恩師に会いに行く

人生の岐路に立つ度に、迷いが生じた時に、行き詰まりを覚えた時に、お会いしたいと思う人がいる。
ここで会わないと自分はズレる、と思う人。

浦和福音自由教会の坂野慧吉牧師。


ここで過ごした3年間、毎週の礼拝説教によって変えられていく自分を経験し続けた。
礼拝後、すぐに立ち上がれないくらい御言葉にとらえられ続けた。
説教が神からの出来事なのだということを、身体で知った経験。

15年前神学校にまだ行っていない頃、KGKの主事として夕拝説教の奉仕が始まり、学生から依頼される説教奉仕がある。
「説教とは何か?」と考え続け、そして憧れた坂の先生の説教テープを何度も聞き直し、文字に起こした。
そして「なぜ自分はこれほど説教で神からの語りかけを受けたのか?」と、「どこでそれは起こったのか?」と、問い続け、考え続け、坂野先生に「先生のこの説教、自分なりにアレンジして学生たちの前でやっていいですか?」と厚かましいお願いもして必死に苦闘し続けた3年間。
憧れ、真似をし続けた日々。

夕拝説教の後は必ず、「先生、今日の説教にコメント頂けますか?」と牧師室に通い詰めた。
「大嶋さん、説教は交わりだと知っていますか?説教中の聴衆の無言の応答が聞こえていますか?」
至言に出会えた日々。

そしてそれらの交わりから与えられた視座。
三位一体論的に考える。
礼拝共同体と「交わり」を考える。
キリスト者の如何に生きるかを、生かしめるのは「霊性」である。

これらが、その後の自分の人生の考える基点となった。



今日、久しぶりにお会いをしに行った。
昼食もご一緒して、5時間半…。


「お考えになっていることを初めにどうぞ。」


恩師の目をつぶって話しを聞いて下さる姿は今も変わらない。
全てがばれているなあと思う眼差しも変わらない。
そして一気に本質に入る問いが投げかけれることも変わらない。


自分の思考が、あり様が、感性が、健やかではない場所が探り当てられる。
それも自分でそこに気がつくように、と静かな時間の中で辿り着いていく。


少し夕暮れが始まる頃、両手を握って「またいつでもどうぞ」と言って下さる。


いろんなものを全部洗濯したような感覚。

あのように年を重ねることが出来たらと、恩師に頂いた貴重な時間。



「急いで考えずに、ゆっくりと神様のお導きをお待ちになったらどうですか。」という言葉を噛み締めながら、じっくりとゆっくりと30代の最後を歩こうと思った。


夕暮れを歩くと北浦和公園の枯葉がさくさくと音を立てていた。






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