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KGK大嶋重徳主事の巡回日記

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器が大きい人

KGKの主事は大切にもてなされることに慣れていない。
学生たちと泊まる場所は、もっぱら青年の家。食事に行くのはサイゼリア。


この日は、西大寺グランドホテルに宿泊。市町村合併により6万6千人の人口で、唯一のホテル。
この小さな町で、大きな教会の十字架がそびえて立っている。


幼稚園、小学校から高校生も在籍するサムエル国際キリスト教学園、ボーイスカウト、高齢者の介護サービスも提供する老人ホームも運営する大きな教会。

主の日の礼拝を含め、西大寺キリスト教会を会場に西日本青年宣教大会、婦人の集い、教役者の集いと4日間の奉仕。



この教会の主任牧師が赤江弘之牧師。
ホテルに自ら迎えに来てくださり、この4日間を過ごす。食事をご一緒にしながら伺う大きな大きなビジョン。


その大きな信仰の骨格にしっかり立っているのは、改革派神学。そして神の国の視座。
そしてホーリスティック(全生活、全存在、全領域)な福音理解。


ホーリスティックという言葉が福音派で使われるようになるずっと前から、この地で実践し続けてこられた老牧師の言葉は説得力があり、重く、深い。

神学の体系を口にすることは容易い。
しかし神学の目指すところをかたちにし、実行し、実現することは簡単なことではない。
日本のキリスト教会のわずか150年の歩みの中では、その文化形成にいたるまでにはもっと時間がかかることと思う。
その中で、この小さな町で実行し、実現し、今なお前に進もうとされている。

教育と福祉。
明治初期からキリスト教宣教師たちが取り組み、海外から献金がささげられ、この地にキリスト教文化を根付かせようと試行錯誤をしてきた歩み。
しかしその途中で戦火の渦に巻き込まれ、宣教師たちは帰国し、キリスト教主義の学校はその信仰の火は消えかかり、病院もまた多くは経営が優先されていった。

そして自由主義神学が教会を襲った時、福音派諸教会は社会的運動を敬遠し、狭い意味での福音宣教に捕らえられていってしまった。
もちろん教会の中心にあるのは、福音宣教である。

その福音の結実した時、どのような実を結ぶのか。地域の中で、社会の中で、この世界に。
その有り様を見据えることなく、狭い意味での伝道を繰り返し、救われると教会の奉仕に勤しむ。
もちろん大切なことだ。

しかしキリスト者とされた意味。
この地にキリスト教会のある意味。
キリスト教会がこの町にある時、その町にキリスト教会は町に何をもたらすのか。
霊的であることは、目に見えた実を結ぶことはしないのだろうか。

虐げられる子どもたちがキリストのそばに来ることが出来、
子育てに疲れた母親が友と助言を得る場所があり、
いじめに会い学校に行けなくなった子どもたちが最後に行ける場所となり、
歩けなくなった老後にも、賛美歌と祈りが毎日ある場所があること。

これは霊的なことだ。



大きな器だと思う。
卓越した人物なのだろうと思う。
同じことは誰にもできない。自分には到底出来ないと思う。

でも見ている視点は同じものを見ていたいと思う。

そして自分の召命感のなかで、この町に、この国に、この世界に、福音の結実を「かたち」にしたい。



最終日、教役者のつどいの講演終了後、質疑応答で老牧師が手を挙げられた。

「この大嶋先生の発題は、私たちに対する挑戦ですよ!」
低く静かな声ながら、こちらを見る柔和な眼差しが一転し、鋭く光る。


恐い人だ。

しかし大きな人物だ。
こういう老牧師に出会えること。その教えを受けることが出来ること、KGKの働きをするなかで味わえる至福の時間。




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