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KGK大嶋重徳主事の巡回日記

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説教塾での経験「変わりたいのか」

「やったな。」この言葉が頭を巡っている。


大阪聖書学院のエクステンション講座が御茶ノ水キリストの教会であった。
テーマは「伝道説教を考える」。講師は加藤常昭先生。

「大嶋さん、説教原稿出せる?」
「いいんですか?」

加藤常昭先生、説教学における巨人。本棚に何十冊もある先生の著作。
神学生の頃には、ルドルフ・ボーレン先生と神戸に来られて、ミーハー精神満載で一緒に写真を取った憧れの人物。娘の香澄を抱き上げてボーレン先生と写真を取ったのだけれど、香澄が先生の頭をパチンパチンと叩く。それを先生はかん高い声で「ヒャッヒャッヒャッ」と笑っておられた。きっと日本でボーレン先生の頭を叩いたのはわが娘だけではないか…。

そんなボーレン先生と共に世界の説教学を牽引されて来たといっても過言ではない加藤先生と直接、説教演習を受ける機会なんてそうないこと。
しかも以前北陸地区にいた頃にも、説教塾に何度か出席。しかしその際の説教演習は順番が最後の4番目で、「はい。『良かった』ということにしておきましょう。うーん、若いねえ。」と言われて終わった記憶のみ。


さて朝、目が覚めて少し震えている。
緊張している自分の自覚。

関東地区KGKの主事たちも4名集合。
10時半から始まる先生の説教批評についてのオリエンテーション。
今から始まる自分の説教にすでに幾つも鋭く突き刺さる鋭い言葉。

説教前に挨拶に行く。頭の上から足先まで目線が行く。「なんだかすべてがバレている」そんな思いがした。
11時過ぎ、説教開始。声が震えている。
説教中に何度も目が合う加藤先生。そして書き込まれていくメモ。

終わる。



最初に第一印象。順番に分かち合われる説教中に起こった出来事(印象)。説教者が「そんなつもりで語ったのではない」という言葉を許さない起こってしまった出来事。
そして加藤先生のコメント。「『やったな』という感じですね。やってきた人なんだなと思いました。『やったな』というのはいい意味ではありません。」


そして昼食。岸本さんが励ましてくれる。ありがたい先輩。


そして昼食後、実際的に始まる説教批評。
本当はする筈であった岸本さんの説教をやめてまで、続けて下さった恵みの時間。午後4時半まで。



そして出来事は、最後に起こった。

「最後に一言、説教者どうぞ。」と促され、為した自分のコメント。
それは自分の説教にしがみつきたいそんな言葉であったと思う。

もっと厳しい言葉、説教者人生を覆されるような決定的な言葉を投げかけられるのではないかと戦々恐々としていたにも関わらず、思ったよりも思いもかけない言葉もかけられた。その時、自分の説教をもっと肯定していたいという思いがムクムクと動き出したのだろうと思う。
あるいは思ったよりもして頂いた幾つかの「良いコメント」にしがみつき、実は語られている重要な自分の欠陥について目をつぶりたい思いが湧いたのが本当のところだろうと思う。
醜い自分の姿。

本当に意味でここで「やってしまった」と思う。


その言葉を聞いた加藤先生の表情が変わった(ように思えた)。


その後、一人の方が質問をされた。
「説教者が変わるということは、どういうことですか?」

そこで紹介された一つのエピソード。
加藤先生が師事されていた高名なテノール歌手の指導者のもとに、その時代に一人の活躍が期待された歌手の一人が「先生、歌を教えて下さい。」と指導を求めてきた。
その歌を聞いたあと、先生は「そうですね。発声からやり直さないといけないですね。」つまり基礎からやり直そうという意味。その歌手が先生の自宅から帰ったあと、加藤先生にこう言われたそうだ。「もうあの人はここには来れないよね。」と。基礎からやり直すということは、強く今の自分を変えようとしていないと出来無い。
そしてカール・バルトが晩年説教がどんどんと若い頃から比べて変わっていったことを紹介され、そして最後にその先生の指導を受けなかったその歌手は数年で表舞台から姿を消したのだと。


「変わりたい」と思って、今日の説教塾に来たはずなのに、今までの自分の説教を肯定したい、自分の生き方を肯定したい、自分を褒めてくれる言葉にしがみつきたい、そんな自分がムクムクと顔を出した。
変われない自分。

そうして帰りの道の途中、指摘された説教の欠陥の一つ一つを思い起こした。
それは自分の人生の中で何度も何度も指摘されてきた欠陥でもあった。
そしてそれは、自分がこだわってきた、大切にしてきたつもりでありながら、結局変わることが出来ないままいた部分であった。
そしてそれは自分の福音を信じる確信の弱さを問われる言葉であった。





「本当に変わりたいのか?」

そして家に戻り、指摘された説教原稿に向かい合う。

実は、今日の箇所から最初に説教したのはもう10年以上も前のこと。
10年かけて、何度も何度も手直しして、今日に至った説教の言葉。


これらの言葉、一文一文、説教の構成ひとつひとつに対する自分の愛着はとてつもなく大きいことに気がつく。

10年間してきた自分の説教体験にメスを入れる作業。
「ここで、捨てないと。」
そして押すディレートボタン。


10年間愛してきた言葉を捨てる複雑な感情と、これからの10年間に「変わるんだ」という思い。


今日の夜が、自分の説教者人生を変える一点になると信じて。




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