FC2ブログ

KGK大嶋重徳主事の巡回日記

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

霊的な時間

247507_2034161904011_1543098349_32208236_5470324_a.jpg


前述のシニアスタッフカンファレンスで、11年以上の主事達の分科会に参加。

そこで話されたことは、「情熱の変化と働き方の変化」について。

自分が情熱を覚えていた出来事が変わっていく時やあるいは全体の中で求められる働き方が変化していく時に、自分が握りしめていたものを如何に手放し、そして自分の働き方を柔軟に対応していくことが出来るかについてが話される。

印象的だったのは、レンブラントの絵が紹介された時。

レンブラントがエマオの途上のキリストを描いた2枚の絵が紹介され、キリストの描き方が彼の人生のステップに於いて変わっていることが話された。

キリストの教え
1枚目は、キリストの表情が描かれず、キリストの話を聞く弟子たちの驚く様子が描かれている。神の言葉のインパクトを弟子たちに与えるキリストの姿。しかしその顔は光を浴び、表情を読み取ることは出来ない。

rembrandt_emmaus01.jpg
しかし2枚目は、弟子たちの隣に座り、神の言葉を優しく解き明かすキリスト。弟子たちの顔も驚きと共に喜びに満ちた姿でキリストの言葉に耳を傾ける。そしてキリストの顔は柔和で、寛容で、優しく、はかなげな寂しさも含み込む。

この2枚の絵が描かれる間に、レンブラントには妻を亡くし、子どもを亡くし、財産を失う経験をした。

多くのものを失う経験が、レンブラントがキリストを知り、キリストの表情を描く事が出来るようにさせてきた。
年を取り若い主事達のように働けなくなることも、かつては情熱を持って出来たことが出来なくなることも、回りの変化により自分のやりたい事を手放すようにされることも、キリストを知る成熟の道のりの中にあることだと、エマオの途上を歩くキリストとの道のりなのだと。


この分科会終了後、講師となったシニアのシニアの主事に「もう少し話したいんだけど、いいだろうか?」と聞いた。

「いいよ。」と彼は応えてくれて、彼の部屋に個人的に招き入れてくれた。

そして自分の中にある長い間抱えてきて、ほとんど誰にも話せなかった自分のストーリーを彼に聞いてもらった。
それは自分の人格のゆがみのある場所であったし、何かが損なわれ続けてきた場所であった。

たどたどと話しながら、気がつくと涙がこぼれていてた。


すると彼はそれに気づき、僕の肩をしっかりと抱いて、今度は彼自身のストーリーをも分かち合ってくれた。

そこにも彼の「失う」経験が存在していた。
そしてその経験には、今も目に見えて何かしらの良い解決があった訳でもない。
人間的な目から見ると何ら状況は変わった訳ではないし、その「失った」ことは今後も彼の人生で「あり続ける」ものであり、「失い続ける」ものでもある。



しかし「失う」こと、「変化する」こと、「痛み続ける」ことが、キリストを知ることに道を開いてくれたと、
彼は、ボクの肩を抱き、そう語ってくれた。

そして彼は僕のために祈ってくれた。



そして僕も少し嗚咽しながらも、僕は僕の祈りをなした。



きっとこれからも抱え続けるだろう痛みを、きちんと痛もうと覚悟が生まれた祈りの時。



失うことや手放すことが恐れではない人生を語ってくれるシニア。

「シニアになる」ことの豊かさと希望を覚えた、霊的な、霊的な、夜。



 | HOME | 

リンク

ネット献金

カテゴリ

未分類 (153)
巡回日記 (196)
独り言 (34)
オフ (23)
グルメ (6)

月別アーカイブ

FC2カウンター

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。