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KGK大嶋重徳主事の巡回日記

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1学期が終了。

木枯らしが吹き、冷たい雨が振り続ける中、神学校の1学期が終了する。


あっという間に終わったような、
でもいろいろと考えに考え抜いた長い時間であったような。


あの大きな地震が起こり、何度も日本へと往復したこの5か月。

しかしそれでもゆっくりと流れ続けたこちらでの時間。
そして静かに気がつかされるのは、「この時に来なかったら、わからなかったことが多いだろうな…」という思い。
 

20代の中盤のまだ神学校卒業したての頃。
「学びをもっと続けたい。できたら海外でそれをしたい。」とがむしゃらに勉強への情熱が燃え盛っていた(もちろん今でも学ぶことの情熱は消えてはいない。)頃。


でもその20代の自分がここに来ていたとしても、見過ごしていたことがきっと多いだろうなと思う。

ここで経験するいろんな出会いの意味や、ふとした時に見えるこの国の教会の現実や、実は今話された言葉がどれほどの神学的な価値と意味を持っているのかということなども、

きっと20代のボクには、海外だという事実に浮ついて聴き逃していただろうし、ただひたすらわかったような顔だけをするのが上手になるだけだっただろうし、耳には聞こえてきたとしてもその価値の重さをわからないまま、その辺に投げ捨てていただろうなと思う。


もちろん今だって、この年になったって、そんなに変わりはない。
きっとわからずに投げ捨てている宝の山があることは、自分の語学の不甲斐なさと自分自身が余りにも未熟な人格であることに日々失望しながら日々を送っているから、痛いほど感じている。
そしてこういう思いは、きっとボクの人格の未成熟ぶりと関係しているものだと思うので一般化しようとなど毛頭思ってはいない。いくら若かったとしても深く知り、深く学び、深く気づきを得る人は山ほどおられることは、歴史が証明している。


でも、でもだ。
1997年にKGKの主事となり、神学校を卒業し11年が経ち、多くの人達が伝道者として自分のために祈り、育てて下さり、教会と多くの学生に囲まれて歩んできた日々がなければ、やっぱり「ここで、今」分からなかっただろうな思うことが多くあるのだ。


今、神様が、目の前で見させてくれる一つ一つの学びと経験の向こう側には、絶えずあの日本でがむしゃらに学んできた日々と、涙して働いてきた日々がいつも鏡のように映しだされている。

そしてその鏡が、目の前の一つ一つの経験に光を当ててくれるのだ。
「これはあなたがずっと苦しんでいたあの事柄に光をあてるものじゃないか。今、深く心に刻みつけておきなさい。」
「これはあなたに何度も何度も語ってきたことだよ。今、涙と共に深く心の奥に受け取る時期が来たのだ。」
「これはきちんと手にとって、懐の深く奥にしまいこみなさい。今はまだ十分にはわからないかもしれないけれど、今後深く意味を持つことになるから。」

神様が与えてくださった経験と今までなしてきた神学の学びが、センサーとなり、受け取るべきものを優しく教えてくれるような思いがする。


神学をするとは、知識の詰め込みではなく、深い人格的経験であり、信仰的・神秘的な経験なのだろうと深く思わされている。



「今でよかったんだ。」

そう振り返ることのできた第一学期。

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