KGK大嶋重徳主事の巡回日記

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東北の牧師の言葉

岩手の盛岡に、東北地区KGK理事がおられる。
その教会のすぐそばに岩手大学があり、そこの学生たちが慕いに慕う牧師である。
近藤愛哉牧師。


主事になったばかりの10数年前。
近藤先生は、関東地区の学生のリーダーとして、恐ろしいほどの速球を投げるソフトボールチームのキャプテンとして(当時、松原湖バイブルキャンプのスタッフチームと毎夏血沸き肉踊る接戦を繰り返していた)、筋肉トレーニングが得意な合唱部として、ICUKGKの魅力あふれる先輩であった。


牧師をしている姿を盛岡で見ることが出来たのは、今回が初めて。
彼は今、盛岡から往復4時間の距離を、津波の被害を受けた宮古市まで通い、ボランティアを続けている。
驚くべき神様のみわざのなかで、ボランティアベースキャンプが与えられ、北海道から関東から、関西からボランティアたちが支援の不足している地域に奉仕に向かっている。


さらに避難所に出かけていき、その責任を負っておられる方々の信頼を受け、「子ども遊び隊」というボランティアを続けている。そこには岩手大学のKGKのリーダーも繰り返し参加し続け、子どもたちからは「次、いつ来るの?」と待ち焦がれている。


福島の地に生まれ、岩手の地で牧師として生きる近藤先生との交わり。
「今回のことでさあ、本当にいろんなことを考えさせられているんだよね。」

水沢から盛岡までの数時間、夕食をはさんでの尽きない交わり。さらに翌朝の宮古市に向かう二時間の間、彼との間に言葉は尽きなかった。
そこにちりばめられた彼が感じた悲しみ、怒り(地震や津波に対してではなく)、そして神からの召し。


東北の人の言葉だった。
東京で分析してわかったような言葉ではなく、どこかから持ち込んだ思想ではなく、自分たちのやりたいボランティアをしようとするのではなく。
今、必要なことは、東北の地に根ざした人たちの言葉を聞くことだ。
東北の言葉があるのだ。東北には東北の歴史がある。東北ならではの人との距離がある。
そこへ、無礼な言葉で入っていってはいけない。


「結局ね、人なんだよね。」
遠くを見ながら話す牧師の言葉。

「これからね。東北の学生たちも、今回起こった言葉を自分たちの言葉としていくことと思う。その時間がとても大切。」
こういう言葉を交わしてくれる牧師の交わりが、今までも、これらからも与えられている幸い。


しかし一緒のいる時間、終始変わらず見せるいたずらっこな目。変わらないまつ毛の長さ。そして笑いを取りに走る時の「どう?」という顔。そして今回初めて会えた素敵な奥様ととてつもなくかわいい子どもたち。
いい友だなあとしみじみと思う。

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