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KGK大嶋重徳主事の巡回日記

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ラグビー、ラグビー、ラグビー

「shige、ラグビーのチケット2枚あるけど行かない?今から2時間後だけど…。」
と神学校の友だちから電話。
以前、カンファレンス終了後、みんなでフットボール観戦に行くのを「羨ましいなあ」と言っていたのを覚えていてくれ、声をかけてくれた。あああ、いい人達だ。

すぐさま「Ohhhhhhhhhh、行く行く!」
と答え、一緒に住むネイサンと共にいそいそとシドニーフットボールスタジアムに向かう。

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緑の芝に輝くライト、やはり生のスポーツ観戦は違う。
NSW州の人気チームWaratahsと南アフリカのLions(このリーグは、オーストラリアとニュージーランドと南アフリカのクラブチームで構成されている)の試合。
当然、ホームチームのWaratahsを応援する。開始早々Warathasのハーフがトライ!
一気にスタジアムが総立ち。オーストラリア人の喜びは半端じゃない。何だか吠え猛る感じ。おじいちゃんも子どももみんなシャウト!


そして選手はでかい、でかい。
時々、シドニー大学のラグビー部とすれ違うけど、囲まれると確実にやられるなと思う。海賊ってこんな感じだったのかなあと思ったりもする。そりゃ、勝つなと。


スポーツの観戦は、神の創造の魅力を余すところなく感じることが出来る。
「ええええええ、人ってそんなことも出来るの?」
「生めよ、増えよ…地を従えよ。」という神の命令に、自分の肉体を節制し、鍛えあげると、そんな感じにまでなるの?!と感嘆の声があがる。

オランダの神学者ファン・ルーラーは、日曜日には夕拝とスタジアムを往復したといいます。そして「聖化において本質的なことは、(プロ・サッカーチームの)アヤックスやフェイエノールトを楽しむことにある」とまで言い放ちます。

それはやはり、神の造られた肉体の躍動を喜び、その躍動感を心から応援することは、キリスト者が創造の本質的な喜びを享受していることであり、そんな人間の姿を神は喜んでおられる!という神学に基づいているのだろう思う。

そんなこんなを考えながら土曜日の夜にラグビーの試合に行けるなんて、なんと幸せ。

結果はWaratahsの圧勝。
帰り道は神学議論をわいわいしながら、40分ぐらい星空の下を歩いて帰った。
これもまた聖化の営み。

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友達

オーストラリアの人たちはやさしい。おおらかでフレンドリー。とっても雑だけど。
新しい学期Term2が始まり、新たに教義学3の授業を取り、講義が始まる前にウロウロしていると、すっと隣に座ってくれる学生がいる。自分は日本の神学校で留学生の彼らにこんなにやさしくなかったなあと深い反省。

今夜は神学校に入り、一番最初に友だちになったマイケルとジュリーの家に遊びにいく。
だいたい友達になる人は、30代後半の神学生たちが多い。

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家に着くと早々、マイケルが「今日はshigeがうちに来るからね。」と子どもたちに説明すると、「えっsugaerが来るの?」と聞き返したと嬉しそうに話してくれる。
「我が家でshigeはsugarで通っているんだ!hahahaha!!!」
最も自分のキャラクターとは程遠いスウィーティーでハニーな名前に恥ずかしくなるけど、少しネタにもなるとほくそ笑む。

彼らは4年生で12月にはロンドンにある教会のミュージックパスターとして招聘されている。
今、同じ教会に通い、彼らの賛美リードは抜群である。
さらにオリジナルの賛美も作り、CDも作成している。歌詞は非常に神学的に良く考えられている。
この日も、アングリカンチャーチの賛美やヒルソングチャーチ(シドニーにあるとても大きな教会)の賛美にうちて、そして日本の教会の賛美や礼拝について、夜遅くまで話し合った。


そして途中、彼らが作ってくれたチョコレートファッジアイスクリーム。
オーストラリアの葡萄にかかった温かいチョコレートがたまらなく美味しい。

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友達と過ごすいい時間。クリスチャンの交わりは世界を超える。

日本語で説教すること。

今、ガラテヤ書の連続講解説教をシドニー日本語福音教会で行っている。
もちろん牧師がいるわけで、毎週という訳ではない。
幾つかの週の説教をここでし、また幾つかあるシドニーの日本人教会での説教の奉仕をさせてもらっている。

留学前に「日本人教会に行くと、英語のスキルが上がりませんよ。」とアドバイスしてくださる方があった。
確かに、2-3月当初は英語脳を必死につくろうとしている最中に、日本語で説教を作成しようとすると、完全に日本語脳に戻ってしまい、月曜日の授業は全くわからない思いに陥ってしまった。

説教作成はとことん、最もふさわしい日本語の語彙を探しだそうとする作業であるし、日本語としての文脈が通っているか、何度も何度も考え抜く作業である。そしてより私たちの現状に届く説教の言葉を獲得するまで、自分の置かれた現状に、会衆の置かれた日常を思いめぐらし、黙想し、そこから生み出される言葉を得るまで粘りに粘ることとなる。
そして、この作業を英語で行うことはできない。

しかしこの日本語教会の礼拝説教が、留学に大きな意味を持っていることに気がつかされている。
日本語でする説教によって、神学校での学びが、思索として統合されていくのだ。
英語得た情報が、日本語の思索を経て知識となり、神学的思惟となる。

やはり自分の限界であると思うのだが、どうしても自分の深いところでの思索は、英語で行うことはできないし(もちろん浅いところの思惟でさえ行うことは難しいのだが…)、きっとこれからもそうだと思う。
どれだけ日本語に堪能な宣教師の方であっても、その思索は母国語で行うこととなると聞く。

説教という神の国の最前線に立つのだという恐れと緊張感が、神学的思考の動き出しを促し、説教作成において行う黙想が、神学校で学んだ内容を自分の文脈から教会の文脈へと昇華させていってくれる。
その時コミュニケーションの手段としてもおぼつかない英語ではあるが、学んだ内容が初めて自分の神学の思惟の中に落ちていくような思いがする。

説教をする恵みと、説教者である自分のアイデンティティを強く実感させられる日本人教会での説教体験。


本当は今、どこにいるの?

「本当は今、どこにいるの?」としばしば聞かれる。

そして幾つかの噂が流れている。
「この前、新大久保で大嶋を見た」とか…。
「実は駅前にあるシドニーという英会話学校に行っているらしい。」とか…。
「実は留学に挫折したらしいけど、あんまり言わないであげたほうがいいらしい。」とか。
「スカイプの背景は自分で描いたビーチの絵らしい。」とか…。

さらに最近は
「ブラジルにいる」
「セーヌ川のバトーに乗っている姿を見た」
「リビングでさっき見かけた」
「やっっぱりOCCにいる」とか…。
と、噂も国を越えて、広がっている。

しかし、しかしきちんと神学校に行っています。確かに震災後の1ヶ月。目覚めると「ここはどこ?」と思う日が結構ありましたが…。


今日の授業は、倫理学Ⅲ。

テーマは同性婚。
我が住む街Newtownでは、同性カップルは日常の風景。世界一のゲイフェスティバルがある街シドニー。
手を繋いで歩いているカップルたちが沢山教会の前を通って行く。
「彼らは教会に来ないのかなあ?」という思いで、彼らを見つめる。

「聖書がこう言っているから」というだけではなく(もちろん聖書に基づいて)、政治的にも、法律的にも、社会学、生物学的にも教会がそれらの主張にいかに届く言葉を社会的に持つことが出来るか、対話が成立する言葉を持っているかが問われている。

さらに事柄を全て一般化することなく、一人一人と顔と顔を会わせて言葉を交わせる関係を築けるか。
神学に問われるのはいつも「愛する」という人格的な事柄だ。

そんなことを、授業の終りに友達とカプチーノを飲みながら話し合う。


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寒くなった冬のシドニー。イースターが終わるとすぐに冬に。

もうすでにマフラーが必需品。

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