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KGK大嶋重徳主事の巡回日記

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Good Fridayシドニー日本人合同礼拝

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シドニーの街は、EASTER休暇に入り、すっかり街は静かに。レストランもスーパーマーケットも、みんな休み。
Good Fridayとイースターを中心に2週間ほどのAutum Break。

震災ボランティアのことを思いつつも、このグッドフライデーとイースターにお引き受けしていたシドニー日本人教会合同礼拝のご奉仕もあり、秋休み真っただ中のシドニーに戻る。

特にグッドフライデーの礼拝には、シドニーにある幾つもの教会が一緒に集まり、共にイースター礼拝をささげる。
そしてシドニー在住の多くのノンクリスチャンの日本人の方々もこの日は参加。160を超える参加者が集まる。


メッセージ前に緊張しつつ一人祈っていると、デビッド・ヘイマン先生が近寄って来られて、右手を握り、祈ってくださる。かつてOMF(国際福音 宣教会)の宣教師として伝道され、一枚のトラクトを手渡すために、何キロも離れた一軒一軒の家を訪ね歩いた。三浦綾子さんが「氷点」を書いた家を譲り受け、その家に住み伝道をされていた方。
オーストラリアに居ると、日本宣教に人生をささげた宣教師の方々とよくお出会いする。大阪で長く伝道されたマッケンタイア先生なども。まるで日本宣教オールスターズの様。


そしていよいよ賛美があり、証があり、説教。
終了後は、クローズネスト教会牧師のH先生が日本の被災状況のことを共に祈りましょうと、呼びかけられ祈りの一時。海外在住日本人は側に居られないもどかしさがある。遠くにいるこその熱心な祈りが、そこにあった。

その後は、アフタヌーンティー。
ここで嬉しいことに、福島県の方でシドニーのご家族の所に避難されて来られたご夫妻にお会いした。ご主人は普段、日本では教会に行ってはいないとのこと。「話はよく分かりましたよ。」とのお返事。
嬉しい出会い。他にも多くの教会は初めてという方とお話をする。



日本人教会とは、独特の教会である。
駐在、留学、ワーキングホリデー、さまざまな理由でシドニーに訪れる方々。
その滞在期間中に、イエスキリストに出会って欲しいと福音をお伝えする。そして福音を受け入れ、信仰告白。そしてバプテスマ。しかし暫くすると訪れる別れ。絶えず移り変わっていく人の流れ。
「いつも宣教師を送り出すつもりです。」
先述のH先生の言葉。


だからこそ、核になる日本人家族の存在が大切。
しかしご夫妻のどちらかが海外の方であったり、あるいは英語力に困らなくなると、他の教会に移っていかれることも多々ある。
しかし、その教会に留まり、牧師と共に日本人宣教に召され、日本から来たばかりの私のような不安げな日本人のお世話をし、夕食に招き、生活の身の回りのお世話をしようとしてくださる方々が、日本人教会にはおられる。


さりげない優しさで、図々しくない仕方で、キリストを証ししようとされる方々。

それは、イエスキリストの十字架に出会ったからだろう。
キリストの十字架で、罪赦され、救いの喜びの中に入れられたからだろう。
だからこそ、イエスキリストが「あの旅人をもてなしたことは、私にしたのだ。」と言ってくださるような、そんなあたたかさで、イエス様にするように仕えられるのだろう。
そんな方々が、ここシドニーにも沢山おられる。

そんな嬉しい出会いの沢山あったシドニーグッドフラーデー。



写真は、イースターに食べるHot cross bunという白い十字架の入ったカシス入り、シナモン風味の素朴なパンと、イースタークッキー。これが本当に美味しかった。このレシピは、妻へのいいお土産になる。

hot cross bun
easter cookie
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東北の牧師の言葉

岩手の盛岡に、東北地区KGK理事がおられる。
その教会のすぐそばに岩手大学があり、そこの学生たちが慕いに慕う牧師である。
近藤愛哉牧師。


主事になったばかりの10数年前。
近藤先生は、関東地区の学生のリーダーとして、恐ろしいほどの速球を投げるソフトボールチームのキャプテンとして(当時、松原湖バイブルキャンプのスタッフチームと毎夏血沸き肉踊る接戦を繰り返していた)、筋肉トレーニングが得意な合唱部として、ICUKGKの魅力あふれる先輩であった。


牧師をしている姿を盛岡で見ることが出来たのは、今回が初めて。
彼は今、盛岡から往復4時間の距離を、津波の被害を受けた宮古市まで通い、ボランティアを続けている。
驚くべき神様のみわざのなかで、ボランティアベースキャンプが与えられ、北海道から関東から、関西からボランティアたちが支援の不足している地域に奉仕に向かっている。


さらに避難所に出かけていき、その責任を負っておられる方々の信頼を受け、「子ども遊び隊」というボランティアを続けている。そこには岩手大学のKGKのリーダーも繰り返し参加し続け、子どもたちからは「次、いつ来るの?」と待ち焦がれている。


福島の地に生まれ、岩手の地で牧師として生きる近藤先生との交わり。
「今回のことでさあ、本当にいろんなことを考えさせられているんだよね。」

水沢から盛岡までの数時間、夕食をはさんでの尽きない交わり。さらに翌朝の宮古市に向かう二時間の間、彼との間に言葉は尽きなかった。
そこにちりばめられた彼が感じた悲しみ、怒り(地震や津波に対してではなく)、そして神からの召し。


東北の人の言葉だった。
東京で分析してわかったような言葉ではなく、どこかから持ち込んだ思想ではなく、自分たちのやりたいボランティアをしようとするのではなく。
今、必要なことは、東北の地に根ざした人たちの言葉を聞くことだ。
東北の言葉があるのだ。東北には東北の歴史がある。東北ならではの人との距離がある。
そこへ、無礼な言葉で入っていってはいけない。


「結局ね、人なんだよね。」
遠くを見ながら話す牧師の言葉。

「これからね。東北の学生たちも、今回起こった言葉を自分たちの言葉としていくことと思う。その時間がとても大切。」
こういう言葉を交わしてくれる牧師の交わりが、今までも、これらからも与えられている幸い。


しかし一緒のいる時間、終始変わらず見せるいたずらっこな目。変わらないまつ毛の長さ。そして笑いを取りに走る時の「どう?」という顔。そして今回初めて会えた素敵な奥様ととてつもなくかわいい子どもたち。
いい友だなあとしみじみと思う。

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最近の若者は…。

最近の若者は、年齢に7掛けとか8掛けだと言われるのを聞いたことがある。
つまり今20歳だと、昔の14歳~16歳ぐらい。30歳だと昔の20代前半ぐらいだろうか。

とは言っても「昔」というのが、どれくらい「昔」をさしているかは分からない。けれども聞いていると、そういうことを言う人たちが若者であった時の頃ことを指しているようだ。
ではこの「最近の若者」という括りが一体、どれくらい正確なのだろうか。


しかし、ある青年がこう言ってくれたことを忘れられない。
「世界のどこを探しても、最近の若者なんていないんです。いるのはここにいる名前のある私です。」


私たちが気づくべきことは、「自分の気に入った若者」「自分に都合のいい若者」を探そうとする誘惑のほうだろう。
「最近の若者」という言葉のどこにも尊敬の響きがないことを自覚し、目の前にいる大切な青年を尊敬し、その交わりを楽しみ、感謝することだろう。
自分もまた「最近の中年」とくくられる年齢に入ったけれど、自分のことを考えても、やはり尊敬がないところには育成はないと思う。どうしようもなかった自分の言葉に耳を傾けてくれ、うなづいてくれる人たちがいて、自分はこの年までやってこれたと思う。


むしろ私の目の前にいる若者たちは、私が若者であった頃よりもずっと立派だ。
余震が続くあの場所に行き、忠実に、誠実に奉仕をする。
主体的に動き、仕事を見つけ出し、朝に夕に御言葉を読み、自分の遣わされていることの意味を神から受け取ろうとしている。
自分の若者であった頃、これほどまでに神に忠実であっただろうかと恥じ入るばかりだ。


最近、友になれた若者たちと一緒に神の国の建設が出来るのは楽しい。そして嬉しい。
そして少しでも自分のした失敗の経験をわかちあい、そこに働く神様のあわれみと、御言葉の恵みを分かち合いたいと思うのだ。
あのペテロがしてくれたように。
パウロがしてくれたように。
ダビデがしてくれたように。
アブラハムがしてくれたように。


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「日本の力を信じている」ことについて

「日本の力を信じている。」

繰り返し耳にするフレーズ。そして感じる違和感。
「緊急事態なんだから。そんな細かいことを言わないで、心を一つにして!」
こんな緊急事態だから使われている言葉に敏感でありたいと思う。


実際に目にしてきた光景、痛み、悲しみ、果てしなく続く緊張状態。
テレビで目にする情報と、何もできない無力感。
そこから心を一つに出来るストーリーを欲する気持ち。

そして聞こえてくる。
強いニッポン。


このストーリーの向こう側に隠れているものは何か。
ここに敏感であることは、日本のキリスト者の使命。
かつて戦時中という「緊急事態」に飲み込まれた歴史を持つ日本の教会の使命。


「Pray for Japan」
誰に?何を?
「言わずもがなでしょ」と言われるかもしれない。
しかしそれほどはっきりしていることなのか?

その祈りにさえも混じりやすい異なる歴史観、世界観、国家観がある。
アングロサクソンの人たちが国家を形成しているように見える国で学んでいて感じていること。
国家と宗教が一体となっていることへの無自覚性。
国家が提供しようとする歴史観を、キリスト教的なものとして受け取っているかのように見える自明な姿。
かつて「GOD BLESS AMERICA」と銘打って、戦争をした国があるように。
かつてこの国にも国家の安寧秩序を祈ったキリスト者がいたように。

復興のシンボルカラーとして用いられる赤と白。
かつて阪神淡路大震災の時、関西に住む者の一人として、ボランティアに通い続けた者の一人として、こんなに赤と白を見ることはなかった気がする。

ネット上で使用される赤と白のバッジ。
そのバッジを使用されていることで感じた違和感を発言することにある躊躇や反発を覚悟しなければならない現状。



「堅いことを言うな。」
「空気を読め。」
「気持ちを汲め。」



この国のキリスト者の中で、かつて大声で叫ばれた同じ言葉が繰り返されてはならない。



神の御名のみがほめたたえられる愛の交わりを形成するために。


まことのキリストの教会が建てられることのために。


切実に、悲しみとうめきの只中で、真剣に神にこの国のために祈る祈り手であるために。




緊急の事態の中で考えていたい、と思っていること。



塚田さん、ありがとう。

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入ってくる主事がいて、去っていく主事もいる。
3月の帰国は理事会出席と合わせて、もう一つ大きな理由があった。それは塚田主事の送別会に出ること。
彼は4年間の北陸地区主事を辞して、金沢市内の教会の牧師となる。

塚田さんに出会った時、「この人が自分の次の北陸地区の主事になってくれたらいいなあ。」とすぐに思った。

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塚田主事に魅力は、第一に聖書に忠実な説教の力。私たちが北陸最後の夏期学校の出発礼拝の説教を塚田さんにお願いをした。その説教を聞き、妻は涙を流して「神様は私たちに『お前たちの北陸地区の働きは、ここまででいいよ。』って言われているのね。」と言った。

その魅力の第二番目は、裏のない正直さ。彼の言葉が学生に届くのは、決して飾らない性格。自分の罪深さをさらすことをなんのてらいもなくやってのける。そしてその姿に学生たちは驚き、「この人の前で自分の弱さをさらけ出しても、裁かれることはない。」と思うようになる。塚田さんの容赦のない毒気をはらんだ突っ込みは、人間の毒気と全的堕落を自覚させ、そこに働く神の絶対的な恩寵へと顔を上に向かせるのだ。彼の毒気は開き直りへとは向かわない。

そして最後は、命がけの伝道者であったこと。塚田主事が学生時代の主事だった人に、H元主事がおられる。難病を抱え、胸に点滴をしのばせながらそれでも夏期学校に参加される姿に、学生だった塚田主事が「休まれてもいいんじゃないですか。」と聞くと、「この仕事はいのちをかけてするもんなんだよ。」と言われた。その言葉が塚田主事のフルタイムの献身へと道を開く。そして文字通り、塚田主事はいのちをかけて主事としての働きをしてくださった。同じく難病にかかり、何度となく手術を繰り返し、何度となく床に伏し、それでも学生たちのいるあの学内聖研に足を運び続けた。この姿を北陸地区の学生たちはずっと見ていた。そして同じく感じた筈だ。「いのちをかけるに足るものとは何か。」と。

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そしてこの日、60名近い学生、卒業生、牧師が集まり、塚田主事への感謝を伝える集まりが開かれた。
そして塚田主事を支え、送りだし、学生を迎えてくれたご家族への感謝が伝えられた。

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会の全てで、素朴で、誠実で、ひたむきな言葉が重ねられた。(塚田さんの毒舌についても、ひたむきに語られた。笑)
この空気が塚田さんを育てた北陸の空気感。
この空気が塚田さんが育ててきた学生たちの空気感。
この空気が塚田さんがいのちをかけて守ろうとし、育もうとした北陸地区KGKのスピリットなのだ。
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塚田主事、本当に長い間、ありがとうございました。
今、しばらく後任が決まるまで非常勤としてお手伝いください。

入会式

KGK主事会に新主事達が入ってきた。

入会式が行われ、そこには全国協議委員の学生の姿も。学生も、新主事達の入会の場所に立ち会う、そしてその証、スピーチに耳を傾ける。美しい光景。
メンバーは関西地区のO主事、関東にT主事とK主事。それぞれのスピーチにそれぞれの思いが込められ、それぞれのKGKで過ごした歴史が感じられた。

今年の新主事研修も日本滞在中に、少し説教論、説教演習などを担当させて頂くことに。
そして説教とは何かということを考えた後に、11日からは被災地に一週間入り、ボランティアをする。
被災地で少しでもお役に立てるように。
東北地区KGKのために、少しでも共に祈れる時を持つことが出来るように。

きっと今年だけの新主事研修になるだろう。
多くのことを机を挟んで学ぶよりも、
あの光景の中でどのように説教がなされることがふさわしいのか、
神の言葉が生きて働くということはどういうことなのか、
朝晩になされている学生たちとの御言葉の分かち合いの中で、自分自身が語る言葉が、ボランティアをし自らの無力感を覚え、自己の存在を問いながら働く学生にどのような意味を持つのか、

そのことを現地で問われることの方が、KGK運動としてふさわしい経験となるだろう。

明日もなされる被災地の教会の礼拝。
今日にも友人の牧師がつけた説教題が街に向かって掲げられている。


神の言葉は生きているのだ。

そのことを力強く告白する主事となるために、彼らの伝道者としての歩みは始まった。


妻の覚悟

3月18日夜遅く。
妻の誕生日にシドニーから帰国し、涙、涙の再会を家族で喜びあった。やはり手で触れ、温度を感じるところの安心感は大きい。
地震後、布団のそばには非常用持ち出し袋を常備し、何かあったらすぐに子どもたちを守れるようにとソファで眠っていた妻は、ほっとしたようにその日は布団で眠った。


そして翌朝、震災ボランティアにKGKが出来ることは何かと、JIFH(日本国際飢餓対策機構)のS家総主事に電話をかける。

「すぐに来てくれてええで。月曜日の朝9時に新潟空港に来れるんやったら、一緒に仙台に行けるで。」
震災後翌日には仙台入りしていたS家総主事は、今後の方針を立てる為に一旦本部事務所に戻り理事会。
JIFH理事長I先生とと共に月曜日に再び仙台入りを予定。この時、一切の公共交通は遮断。仙台に入りKGKボランティアアレンジをするためには、このタイミング以外にはない。


妻の顔を見る。
「どうぞ。行って来て。大丈夫。」
まるで何でも無いことかのように、いつもの出張と変わらないかのように。


「で、私が出来ることは何?」
「現地で鎮痛剤が必要みたい。」
「わかった。教会の人に連絡するね。明日の日曜日に持ってきてもらおうよ。」


本当に大切なことのために、大切なものを選ぶ妻の覚悟。
「お父さんを送り出すというボランティアをしようね。お祈りすることが一番のボランティア。」と子どもたちに話してくれる妻。
そして「お祈りしているからね。」と家庭礼拝をしながら、送り出してくれる子どもたち。

この仙台入りが決まるまでの時間は、わずか数分。


あとはKGK総主事に相談し、了承を得る。
そして日曜日に震災の場所に持って行くものを二人で集め、寝袋や現地で食べる食糧の荷造り。
月曜の朝5時には家を出る。


妻の覚悟、腹の据わり方に驚嘆しながら、朝早く妻が握ってくれたおにぎりを大宮駅で食べる。


本当に大切なことを大切にすると、
当たり前のことを当たり前で生きることの覚悟と、
普段、告白しているように日常を生きることを、

妻から教えられながら、新潟へと向かう朝。
こういう時には、いつものものが問われる。


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