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KGK大嶋重徳主事の巡回日記

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一年をきちんと終えること


私には一年を終えるこの頃、必ず行うことがある。

それは一日をかけて、じっくりと一年間を振り返ることである。

最初、この一年間のスケジュールを書き込んだ手帳を見ずに、自分の心の中に留まっている出来事は何かと思い巡らす。じっくりと時間をかけて。「ああ、あんなこともあったなあ。」「ここでとても辛い思いをしたなあ。」と。そしてそれを手帳に書きだす。

次に、スケジュールを書き込んだ手帳を見て、もう一度一年をじっくりと振り返る。すると、先ほど思い起こさなかったことが何かを見つける。実は自分にとっても大きな出来事だったのに、「なぜ思い起こせなかったのだろうか。」と考える。それは思い出したくないことであったり、考えること、向き合うことを止めようとしていたことであるかもしれない。またその出来事の前後に忙しさが取り囲み、その出来事の意味を深く見出すことをしないままで時間を過ごしてきたことであることもある。

そして、神様はそれらの一年間の出来事を通して、自分をどのように変え、導き、さらにこの出来事を契機として自分の人生に何を始めようとされているのかと思い巡らす。一年を通して起こった出来事一つ一つに、神様はどのように寄り添っていて下さったのかと考えるのだ。

そして、それらの出来事の周辺にあった聖書の言葉は何であっただろうか、と考える。それは確かにこの御言葉で一年が支えられた、という御言葉であったり、自分にとっては思いがけない言葉であったりもする。神がこの一年で絶えず語りかけておられた御言葉を聞き洩らすことなく、きちんと受け止めるのだ。

そして最後に、この一年に名前をつける。信仰の先人たちが「ベエルシェバ」と名付けたように。神が私に何をなして下さったのか、と告白するのだ。そして次の年への自分の祈りと願いを同じく一文で手帳に記す。

そして来年の年末、その祈りと願いを主がどのように応えて来て下さったのかを考える時を過ごすのだ。

私たちはいつも神の時を生きている。

これが学生時代からずっと続けている一年の終わり方。
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診断結果

ついに出ました、診断結果。

クリスマスイブに病院に行くと、沢山の人の姿が。
今この時も多くの病を抱えておられる方と、その家族がおられる。自分の大切な知り合いや、教会で祈り続けている祈りもあわせて改めて、主の癒しを祈る。

さて、診断。
あのスーパードクターは、開口一番「大丈夫でしたよ。もう再発の心配もありません。」
「ありがとうございます!で、何だったんですか?」
「粉瘤(ふんりゅう)とは、皮下にできる良性腫瘍の一種で、アテロームまたはアテローマとも呼ばれます。
アテロームは、皮膚の下に袋状の構造物ができ、本来皮膚から剥げ落ちるはずの垢(角質)と皮膚の脂(皮脂)が、剥げ落ちずに袋の中にたまってしまってできた腫瘍の総称です。」
「じゃあ、もう大丈夫なんですね

「じゃあ。傷口を見せてください。ああ、いいですね。」
おもむろにはさみを取り出し、糸をぷちぷちと切りはじめ、「もういいですよ。終わりです。」
「えっでも、27日は来なくてもいいんですか?」
「いいですよ。今、抜糸しましたから。」

すご腕のスーパードクター。結局、この日を入れて2日で完治。今までの数カ月は何だったのか?と思えるほど。
必要最低限のことで、治療しつくす。凄いなあ。余計なことは何もない感じが、職人という感じがする。そして与えてくれる圧倒的な安心感。

お祈りくださった方々、ありがとうございました。先週のクリスマスのご奉仕の数々では、ご迷惑をおかけしました。無事に完治です。

自分のものは何にもないやろ。

「どうも、竹内結子です。」

ひと月ほど前のブログで、紹介したN先生の家に訪問。(くわしくはN先生とすい臓がん

底抜けに明るい竹内結子そっくりな奥様のS先生が迎えてくださった。
実は前回ブログを書いた時に、メールがきて、「ええこと書いてくれたけど、うちの妻が『なんで私のことは書いてないの?笑っていうてたで。」とあった。最高のご夫婦だ。

「えっと、この人の闘病記を今からブログで書き続けて、そのうち映画のプロデューサーの目に留まって、映画化の話がきて、私の役を竹内結子がする予定なんです。そして主人の役は、嵐の二宮君で行こうかなと。」

げらげらと、竹内結子的に笑いながら話して下さる明るさに、N先生はどれほど助けられ、励まされただろうかと思う。「ほんま、ええ奥さんやねん。」夏のキャンプでお会いした時から、ずっと聞かされてきたこのセリフ。
夫のすい臓癌が分かってから、しばらくの涙のあと、」「私はあなたの妻に召されたんやから。その召しを最後まで全うできるんやね。」という言葉を仰ったということもお聞きしていた。「でもな、ほんま普通の人やねん。びっくりするくらい。」

2時間ぐらいのお交わりの中で、爆笑、そして涙、御言葉の分かち合い、最近教えられている聖書の言葉、そして爆笑、涙。目まぐるしく変化する豊かな時間の中で。

S先生がこう仰った。
「でもな、わたしゴキブリ殺されへんねん。もしこの先、あなたがおらへんくなったら、どうすんの?」

「そうやなあ。でも自分のものは何一つないねん。子どもも、いのちも、全部がな。神様がいはる。今までのものは全部、神様がくれはったもんや。だからどうなっても、これからどうなっていっても、全部大丈夫。今までもそうやったやろ。俺と結婚したのも、全部そうやったやんか。だからびっくりするくらいの平安が、備えが必ず待ってる。」

涙。

こういう言葉が、この地上にあることの奇跡。
何ひとつ気合いをいれて、信仰的なことを言うてやろうと気構えもなく、普通の感じで。

そしてこの夫の妻として、この言葉を共に生きていこうとされているS先生の信仰。
そして涙のなかの笑顔。

いいクリスマスのプレゼントを頂いた。


教会から見える横浜の夕日。


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手術3

「それで、結局なにがあったの?」

足の裏の親指の皮膚の後ろから出てきたのは、1円玉くらいの白い塊と、永久歯の奥歯ぐらいの大きさの白い塊。
「これがあって、歩く度に骨を圧迫していたんですよ。」

「病理検査に回しますので、これが何かが分かりますよ。」

来週24日クリスマスイブに分かる塊の秘密。今年のクリスマスは、なかなかヘヴィーな年になった。

そうは言っても、今日は千葉の教会でのクリスマスメッセージ。来週も、早稲田クリスマス、多摩ブロッククリスマス、横浜女学院クリスマスと立て続けにクリスマスメッセージがある。無事に守られるようにお祈りください。

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いよいよ手術と痛み。

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「ついに治るんだ」と期待と共に、予定の40分前に病院に着く。
受付で「大嶋です。」と伝えると、先生は「予定より早いですが、すぐにやりましょう。」と看護師の方もすぐに手術へとアレンジ。何とも心強い。益々はやる気持ち。

手術室に入り、手術台に昇り、うつぶせに寝る。
「足裏を消毒しますよ。」
「はい。」元気な声。
「じゃあ、部分麻酔いきますね。痛いですよ。」
「はい。」まだまだ元気な声。
「いきます。」
「うっ」足裏の敏感な部分に、画鋲の上に全体重をかけて踏み込んだ痛みが。「っゔー。ふっ。」何も言葉が出ない。
「今度は深くいきますね。」
「はひ。」恐怖のみ。
「ご―。」喉の奥から漏れ出る息だけ。太い釘が打ち込まれ、足を突き抜けたかと思うほどの痛み。
その後も画鋲レベルの痛みが何本も打ち込まれ、やがて麻酔が効き始める。

「じゃあ、切っていきますね。まだ痛いところがあったら、麻酔を足しますので我慢しないで言ってくださいね。」
心の準備はまだなのに、メスが足に入る感覚だけがある。

痛い。麻酔が効いて痛くないのに、何だか痛い。握りしめている手からは大量の汗が。
ライトの映る壁の影が先生の作業を映し出している。そして「これかあ。」という先生の声。「でかいなあ。痛かったでしょう。」「あっもう一つある。」「これは複雑だなあ。」皮膚の中が切り刻まれて、取るべき塊が取り出されていく。「もう骨がすぐそこですよ。」先生の実況中継に、どう相槌をうてばいいのかわからない。

でもこの強烈な痛みの先に、あの解決の糸口の見えない痛みからの解放があるのかと思うと、この痛みもまた耐えられる。

そしてやがて縫われ始めた感覚があり、「終わりましたよ。」という声が。


歓喜。


その数分後、麻酔が切れて激痛が走る。
でも、この激痛の先にはあの痛みがないのかと思えると、激痛も耐えられる。痛みどめもあまり効かないほどの激痛の中にも確かにある歓喜。


そして痛みに顔をゆがめ、しかし興奮しつつ家に帰る。
一連の報告をすると家族も「良かったねー」と喜び。



すると妻が「十字架のイエス様の気持ちが分かった?」と聞く。



「ああ、そこは考えもしなかった。」

俺はまだまだだ。

緊急手術!

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「手術しましょう。」

8月頃から足裏の親指の下の部分が激しく痛み、フローリングの床をはだしで歩くと激痛がしていた。触ると何か大きなしこりがある。海外出張も痛みつつこなし、我慢が出来なくなって総合病院の皮膚科に恐る恐る行く。
すると「エコーで見てみましょう」となり、「何も映りませんね。」となり、しかし「でも痛いんです。とても。」と訴えると、「じゃあ整形外科にでも行ってみてください。」となって、「うーん、MRIで見てみますか。」となって、「うーん、何かありますけど悪いものでないので、小さくなるのを様子を見ましょう。」となって、また数週間。

でも痛い。ずっと痛い。様子で何を見るの?このまま整形外科?

「あーでもついに無理。」となって、近くの皮膚科に行ってみる。
すると「ここでは処置できないので、近くの大きな病院を紹介しますね。」と言われ、またもや前述の病院が紹介されそうになる。そこで「実は、その病院にすでに行っていてどうにもならなかったんです…」と告白。「じゃあ、少し遠いですがこちらの病院で。」と紹介された病院へ行く。

「これは手術しかないですよ。今まで痛かったでしょう。」
前の病院ではまともに触ってもくれなかった足裏を丁寧に触診してくれ、しかも痛みに耐えた数か月にねぎらいの言葉が。
「先生。よろしくお願いします!!!」先生に会えて良かった!と言わんばかりの感動が湧きおこる。
そしてそこからが早い。
「じゃあ、年内に治してしまいたいですよね。抜糸も含めて、今日手術室が空いているのですが、どうですか?」「はい。是非!!!」「じゃあ、今日の午後3時から。お待ちしています。」


よき医者に出会える喜び。感動。長い間抱えていた痛みから解放されるかもしれないと思える希望。
さらによくない医者に出会う失望。長血を患った女性のように、タライ回しにされる悲しさ。ずっとこのままなのかなあと思う絶望。


自分は魂の医者なるイエスキリストのように、お一人お一人の魂に寄り添えているだろうか。
イエスキリストが重い皮膚病の人の患部に手を触れられたように、自分に話しを聞いてもらいたいと思われている方の痛みに、触れながら話を聞いているだろうか。
そして本当の必要な御言葉を語り、癒しへの希望をお伝えできているだろうか。


手術への準備をするために、車の中で考えたこと。

クリスマスプレゼント

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この時期、各方面から我が家のこども達にプレゼント贈ってくださる方々がおられる。
毎年届くチョコレートが入っているアドベントカレンダー、子ども成長にあわせて届く文房具やカバンなど。
我が家が祈られ、愛されていることがよく分かる。

ある人が「クリスマスはプレゼントを貰う日ではなく、プレゼントをあげる日なんだ。」とこども達に教えておられた言葉が思い出される。
こども達には、今プレゼントを頂いたこのあたたかい記憶をもって、いつもプレゼントを与える側に回れる人生を歩いていって欲しい。
与えることを喜びとしてくださる方々に囲まれる幸せの経験が、こども達の人格の豊かさに繋がっていくように。

そう祈りつつ与えつくしてくださったキリストの降誕をおぼえるこの頃。

日本福音主義神学会

日本福音主義神学会東部部会の秋の研修会で、青年伝道についての発題の機会が与えられた。普段、KGKが為している宣教論(宣教の方法、その神学的な根拠、そして青年層への現状分析)が、神学の場所で、学的に耐えうる言葉になっているのかということを問われる大きな責任。

場当たり的で対処療法世両方的な青年伝道が叫ばれるこの時代。しかしやがて時代が変わり、文化が変わると、その方法が通用しなくなり、同時にその方法で育てられた世代への無責任な態度だけが残っていく。

学会という場所で、神学の言葉で打たれることは大切なことだと思う。自らのなす働きが神学的な批判にさらされ、そしてその批判に耐えられる神学の言葉が用意できているかということは、重要なことだ。
もし少しづつであっても、そういう神学的な営みを積み上げていくことが出来るならば、次の時代の青年伝道にも役に立つ言葉を残していける。そしてこの時代の学生伝道において、ある神学貢献を為していくことが出来れば、それは決して場当たり的ではないし、次の時代に繋がる神の国の建設となる。

もちろん自分の発題は、言うまでも無くボロボロで悲惨なものであったことは間違いない。
が、いろんな神学校の先生方に囲まれて少なくとも幾つかの言葉を交わせたことは大きな経験であった。
そして現場主義に陥りやすい学生伝道を、神学の場所で考え続けることを続けていかなければならないと思わされた貴重な経験。

私達は打たれ弱くなってはいけない。

JECA北関東宣教大会

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11月末に、ご奉仕させてもらったのはJECA北関東宣教大会。M先生に声をかけていただいて、夏前から宣教大会の打ち合わせを行い望んだご奉仕。会場は川越聖書教会で、K先生ともこの時初めてご挨拶。やや緊張気味で望んだこの日、K先生とM先生が牧師室で気さくに交わりを持ってくださって、「大嶋主事が準備したものをそのままぶつけてくれたらいいから。」と激励。
また宣教大会では、今までご奉仕にうかがったJECAの諸教会の皆さんとも再会でき、ご挨拶できて嬉しいご奉仕。
前橋からも沢山いらっしゃって、広い北関東の交わりを満喫した。

そして説教終了後は、K先生の牧師室で3人で昼食。食事中も「さっきの説教のあの言葉はねー。今の時代の言葉だよねー。」と説教のレスポンスもして頂き、感謝感激。こういう先生方に、自分の説教を聞いてもらってレスポンスを頂ける機会はそう無いこと。自分の中の不安を覚えながら説教に望んだポイントへのアドバイスも頂いて、貴重な貴重な時間であった。

そして今回のご奉仕での恵まれた最大のことは、M先生と細やかな交わり。「今度の奉仕のことで、どこかで打ち合わせができる?」と聞いてくださって、KGK事務所にまで足を運んでくださった。
その時の先生の日本宣教における教会の抱える現状に、先生が考えておられる視点をお聞きできたことは大きな恵み。そこに日本の教会を愛し、日本の教会を憂え、日本の教会のためにささげている牧師の姿と牧師の言葉があった。こういう牧師の言葉を聞くと、一瞬にして心が燃える。そして、この交わりを通して最初にイメージしていた説教原稿から、随分言葉が入れ替わり、多くの説教の言葉が削除され、幾つかの説教の言葉が足されていった。
聖書を釈義した作業が、説教原稿になっていくまで起こるダイナミックな言葉の変動が起きる。
そしてそれは具体的な交わりによって、起こる。

刺激的な、そして痺れる奉仕と交わり。

関西地区GA研修

「この店、前に黒焦げにされてしまいましたよ」と関西GAの中谷君に言われても、「やっぱりお好み焼きは食べて帰ろう」という強い欲望が突き通し、彼を無理やり誘いヨドバシカメラ上の「◎月」に、お好み焼きを食べにいく。

ソバ載せにしたせいで、おなか一杯になった後、いよいよGA研修。関西地区にはGA(卒業生アシスタント)という主事の働きを、非常勤で助けてくれる働き人のプログラムがある。そしてGAには、神学研修を受ける講義があり、それがGA研修。現在のGAは豊島みっちゃんと、中谷君。

今回、関西を訪れた機会を生かして、ご奉仕させてもらう。この日は「聖霊論」の学び。以前、NCで担当した分科会の内容そのままではあるが、そのNCで準備委員長をした彼は、その講義を聴いた訳ではないので、「いいよね」と決行。

聖霊論のものの見方を身につけることは、「終末を如何に生きるか」そして「世界をどのように見るか」さらに「自分の人生は、どのように神に用いられるのか」という視点を与えられる。
聖霊の事柄は、耐えず「完成」に向かう、創造から終末への向きを人生に与えてくれ、そしてそこに働いてくださる聖霊のご性質が、自らの人生のあり様に向きを与えてくれる。その時、世界の存在の意味と、自らの存在の意味が、光を放つのだ。

学生伝道をやっている私達に、この「向き」と「意味」を学生に伝えることは、私達主事の使命でもある。
「うん、うん」と頷きながら真剣に聞いてくださる二人の姿勢に気をよくして、20分オーバーしても尚終わりそうにない講義ではあったが、無理やり終了。そして意見交換。自分より若い同僚と、自分が考え続けてきたことを分かち合えることの喜び。それは講義という形式ではあるが、お互いが伝道者としての召しを主から頂いているもの同士の交わりである。

そしてこういう交わりは燃える。自分の仕事の意味を確認し合えるからだ。
二人のGAが燃えたかどうかわからないが、勝手に燃えて、恵まれて、そして今回の関西ツアーは終了。cup_43.jpg


親友の嬉しいニュース

実は京都に行く前に、友達と再会。
「俺、今度奉仕で京都に行くから、会わへんか?」

大嶋主事を支える会の幹事を97年からしてくれて、今も支える会レターの編集レイアウトを担ってくれている親友。神学校卒業し、KGK主事になる時も一番最初に相談した友達。「しげが主事になることは御心やと思うで。また支える会つくらなな。」とすぐに言ってくれた彼の言葉で与えられた召しの確かさ。

「うん、でも。その日はちょっと予定が入ってんねん。」
「何時から何時まで?」
「2時から4時やなあ。」
「俺、5時までに京都駅に着いてたらええから、どこでも行くで。」
「実はな。俺、結婚すんねん。そんで相手の家に親連れて、その日、挨拶いくんやんか。」
「えっ?まじで。誰、でもそんな大事な日やったら、あかんなあ。」
「うーん、でも4時に終わるから。やっぱり会おか。」

両家の挨拶終了後、高槻駅に来てくれたスーツ姿の彼の側には彼女の姿も。
そして彼女は、ボクも知っているボクらと同じ教団の女性で、KGKの卒業生。
「俺の結婚のために祈ってくれ」といわれ、祈り続けてきたことの実りが目の前に。親友が素晴らしい信仰者と出会い、結婚する喜びは最高だ。そして喫茶店で時間の許される限り、「どこがよかったん?」と親戚のおっさん張りの直球トークで、話し尽くす。そして喫茶店で二人のためにそのまま祈る。

学生時代の親友は、一生ものだ。
ずっと友達でいられる。そしてずっと「祈ろう」と言える。学生時代に普通にやっていたことが、ずっと普通にやり続けられる。こんな友達をずっと持っていられる喜び。
そしてKGKの学生達にも、持っていて欲しい信仰の友。


喫茶店を出た後、「記念に一緒に写真とろか」となって、彼女が撮ってくれた写真が下。
当然のことながら、彼が男前に映るように撮られているこの写真。
二人の愛が全面に出ているこの写真が、今の二人の愛の証だ。

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京都でクリスマス

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土曜の夜に京都駅に降り立ち、T先生と待ち合わせ。
実は翌日は興戸キリスト教会で、クリスマス伝道礼拝の説教。かつてから同志社大学の学生が、沢山集う興戸キリスト教会。KGKがお世話になり続けてきた教会だ。

今回は、前日入りをさせてもらい、T先生とお交わり。京都駅周辺は学生時代と見違えるような様相で、オシャレな街に変貌している。駅中の伊勢丹には大きなクリスマスツリーが。今や京都駅がデートスポットに。T先生と夕食を食べ、カフェでお茶をしながら牧会の話、子育ての話、夫婦の話、説教作成の話をする。

お子さんが生まれたての先生が8時過ぎに家に帰られると、急に京都駅周辺を歩きたくなる。
ヨドバシカメラが出来ていたり、新しくなったとはいえ、学生時代の趣を今も残す京都の街。

「この通りを何度も原付バイクで走ったなあ。」
「新福菜館のラーメンを食べるために、並んだなあ。」
「電車代がなくて、河原町から丹波橋まで歩いたなあ。」
「あそこの川原で、自分の罪に苦しんで泣いたなあ」という夜も一気に思い出す。

学生時代に過ごした街並みは、一気にあの10代後半の自分の切ない思い出へと連れて行ってくれる。
あの頃の青臭く、とんがっていて、でも神を信じるとは何かを必死に求めていた学生時代の感情は、気恥ずかしくなることと共に、今も失ってはいけない真剣さを思い起こさせてくれる。

学生時代に、神を真剣に求めること。その大切な記憶が、ここ京都の街にはある。
自分がどこから生まれ、どこで悩み、どこで苦しんだかを思い出すためにも、この街にこれからも訪れようと思った京都のクリスマス。


鎌田主事ブログ開始!

鎌田主事のブログが始まりました。

その名も「感謝日記」是非とも、ご覧頂いて鎌田主事の働きのためにお祈りください。

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