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KGK大嶋重徳主事の巡回日記

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KBC2

今回のKBCで任された分科会は、「神に失望した時」というテーマ。

ヨブ記を取り扱うということが決まり、この夏は、毎日ヨブ記を読み続けていた。
ヨブ記が聖書の中にある不思議。


私達は試練の意味(答え)を安易に求めやすい。
しかしその意味の詳細をヨブ記においてどこにも見出すことは出来ない。
その意味を問うヨブに、神は最後に世界を見せられて、ご自分を現されるだけ。

では「試練の意味」がヨブ記のテーマではないとするならば、ヨブ記が語るメッセージは何なのか。
この「神に失望する」出来事を通して、神がヨブに導かれていこうとされている場所はどこなのか?

ヨブは財産、家族、自分の健康、そして妻の信仰(「あなたの神を呪って死ね」と言われる)を失っても、「主は与え、主は取られる。」「祝福を頂いたのだから、災いも受け取るのが筋。」とヨブは告白する。
凄い信仰の告白である。そしてここにヨブの偽りは無かったであろう。

しかし、ヨブ記はここで終わらない。(ここまで2章)
ヨブが呟き、ヨブが神をののしり、神に失望するところがこの書物のメイン(30数章)となる。

そしてこの「神への失望」を引き出すのが、3人の友の存在だ。
妻もしもべもヨブを捨てていくなか、3人の友は声をあげて泣き、7日7夜沈黙を共にしてくれた。

しかしこの3人の友の言葉は、ヨブにとっては「苦痛」であった。彼らの言葉は、悲しみに寄り添うにはあまりにも「正しすぎ」、ヨブにとっては「裏切り」と感じさせた。

しかしヨブは、この3人の友との交わりのなかで、ヨブの中にすでに芽生えていた「神への失望」を口にし始める。「なぜ、神は現れてくれないのか・・・。」
彼の内側に本当はあった恐れ、不信、疑い、怒り、悲しみ、失望の数々を彼は友との交わりの中で吐き出し続ける。このヨブと友との対話は30章近くに及ぶ。

そして「ヨブの言葉は終わった。この三人の者はヨブに答えるのをやめた。(31:40,32:1)」そしてその後、神は現れる(エリフの言葉が間にあるが・・・)。

ありとあらゆる人間の言葉が尽きるまで、神は現れない。
それは私達のなかにある「いわゆる信仰的な言葉」の陰に隠れているすべての人間の言葉を、きちんと神の前で露にされることへと神は導いておられるようだ。


神が求めておられるのは、愛し造られた被造物との真実な交わり。
奇麗ごとでは終われない、私達の本当の叫びを神は全部言い終わるまで待っておられるようだ。


神は「苦しみの意味」を説明することなく、世界をヨブに見せられる。
するとヨブは「ああ、私はつまらない者です。私は手を口に当てます。わたしはもう口答えしません。」と答える。

すると神はもう一度、世界を見させなおさせる。
まるで先ほどのヨブの言葉が不満であるかのように、「私はヨブにそんなことを言ってもらいたい訳じゃない。」と言うかのように。

するとヨブは、「わたしはあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。」と語る。
そして主はヨブの言葉を受け止められたかのように、ヨブの友へと言葉をかけられる。


神が求めておられるのは、神の前で黙ることではない。口答えなどしないことでもない。神である主を深く、人格的に知り、この神との交わりに生き続けることなのだ。
神がどれほど被造物を愛しておられるかを示され、どれほどあなたを愛しているかを示されている。


苦難の意味、試練の意味をわたしたちは完全に知ることなどは出来ない。
しかし神は苦難の意味を知り、私達が納得することよりも、その苦難の中で、奇麗ごとでは終わらない私達の本当の姿のあるところで神との交わりに生きることを求めておられる。
「うわさで神を知る」のではなく、「この目であなたを見る」ことをを神は求めておられる。

試練は、「この目で神を見る」ことの出来る機会。
試練は、「自分の本当の姿を見る」ことの出来る機会。


ヨブ記はそのことを私達に教えてくれている。





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KBC

さて夏期学校終えてKBC。4週連続のキャンプへ突入。

IMG_2206.jpg

KBCの講師は、淀野先生。
幾度か淀野先生の牧会されている教会でご奉仕に行かせていただく度に、先生の深さ、真剣さ、そして情熱に触れてきた。そしていつも思わされてきたのが「教会の牧師とは何か」という情熱。
この夏、私の属する教会の神学生が先生の側で夏の間研修を受けてきた。
帰ってきた彼に「どうだった?」と聞くと、「The牧師がそこにいました。」うん、わかる。

今回のKBCに流れているテーマに「教会に生きる」という信仰。
期間中の水曜日は、文字通り「祈祷会」をなした。そして教会を建てあげる祈り手になるようにと説教でもチャレンジ。学生達の幾人かは、おそらく初めて自らの属する教会のために祈りをなした。

牧師として30年を生きてこられた人生から生まれる説教の重み。
そして丁寧に説き明かされる御言葉からのチャレンジ。
夏の疲れた体に染み渡る「牧会される喜び」とでも言おうか。

8月最後の1週間は、まるで自分のためのリトリートのよう。


KBCは夏期学校とは違うテンションがある。
夏期学校はノンクリスチャンを救いに導こうとする緊張を伴った高めのテンションが流れている。
しかしKBCに流れるテンションは、御言葉の前に静まり、神の前にあなたはどう生きているのかという問いのなかを歩むテンション。

その中、神の前を生き抜いてこられた牧師のある「厳かさ」が、そのKBCに流れる静まりに深まりを与えてくれた。


夏期学校2

P1020176.jpg


今回の夏期学校の講師は、早矢仕先生。
関東地区協力会の運営委員も担ってくださっているKGKのシンパ。そしてボクが中学生、高校生の頃のスタッフ。

早矢仕先生の説教は、4回とも同じ箇所からの説教。斬新かつトリッキー、しかし深みへと入っていく説教スタイル。

早矢仕先生は見た目は、「なんや、この人?」と思える怪しげな風貌。
そして人当たりは、明らかに「脇が甘い。」そしてそのことを伝えると、実に嬉しそうな顔をする。
「脇があまいって、ええ言葉やなあ。俺、そんなんになりたいねん。」
初日の説教は、明らかに問いだけを参加者に放り込んで、「あとは、自分で考えて。ほなな。」みたいな終わり方。「ええええ、どないなんの?大丈夫?」

しかし説教の回を重ねるにつれ、核心部分へと入っていく。
参加者からも「同じ聖書の言葉を何回も、何回も読んでいくと、こんなにも深みに入っていけるんですね。」という声が上がってくる。そしてその説教の中心にあった「神に愛されたものとして生きる」というクライマックスに行くと、この生き方を自分もしてみたいと願う声がノンクリスチャンの中から起こってきた。

そこでぐっと十字架のメッセージに行くか!という期待が高まった瞬間、
「その大切なところは、今日の夜、大嶋主事が語ります。」と大きなパスが来て、説教が終わった。

「ええええええ、うそーーーーーーん。」

そして最後の夜の集会前「嬉しいなあ。メッセージが無いと言うのはええなああ。」と早矢仕先生は本気で嬉しそうな顔。
そして集会後、「嬉しいなあ。一緒になって、奉仕が出来るのはやっぱりええなあ。」とのコメント。

器がでかい。
核心部分を人にゆだねることが出来る人はそういない。
そして嘘が無く本当に喜んでいる早矢仕先生の顔を見ると、
「神様に委ねる、神様のなさっていることを信じる、神様が生きて働かれていることがあるからそれにお任せする」
ということがなんなのかを考えさせられた。
自分はなんとあくせくあがいているのだろうか、なんと自分の力にすがってもがいているのだろうか、と思わされた。

そして最終日、4回目の説教は圧巻。
神に従い生きる人生という「It」に、力強く招くその説教は、最初から実は貫かれていた中心軸。


うーん。すごい。


関東地区夏期学校

夏期学校の様子


今回の夏期学校のテーマは、「Is this it?」
どこかで聞いたことのあるのフレーズだが、その心は「その何かを求めて」ということにある。
自分の人生を決める「It」がある。人はみな、それを求めている。

今回の夏期学校の学生参加者総勢80名のうち、25名はノンクリスチャン。
「それが本当にItなの?」と問いを突きつけてくるノンクリスチャンの友人に、クリスチャンたちが「そうだよ。それが私のIt。あなたにも必要なIt。」と答えることが出来るかが問われる。


インマヌエルYS3

インマヌエル

最終日、涙が出るほど嬉しい証の時間であった。

「やっぱり地元を離れることなく、あの教会を愛していきたいと思います。」
「自分の教会が無くなる日なんて、考えたくは無い。」
「教会に対する自分の不平、不満が変えられたい。」
「自分の友達を連れてこれる教会にしたい。そして伝道するものへと変えられたい。」
「自分に出来ることはなんなのだろうか、と考えると、拙い自分であっても用いてくださる主に献身したい。」

最終日に向かって、賛美がどんどんど変えられていく。
最後の集会の賛美はまさに、神の臨在の溢れる神礼拝。

金曜日が最終日のYS。
問われているのは、明後日の礼拝。そこで霊とまことの礼拝をささげられているか。
キャンプの先にある、あの地道で誠実な礼拝のなかに、このキャンプの真価が問われている。

「教会」という大きなテーマを与えられて、そして何よりもこの日本で問われている大切なテーマを与えられて、一番恵まれたのは私自身であった。

さあ、いつものあの教会で、いつものあのメンバーと、心からの礼拝をささげるものとなりたい。



インマヌエルYS2

インマヌエルYSがいよいよスタート!

キャンプの奉仕は、説教の一回目が終わってからの時間が大切。
講師としての自分が、キャンプ期間中に働かれる主のみわざ、主の語りかけにどこまで耳を傾けられているかが問われる。
主がどのように参加者の内側にレスポンスを起こし、またどのような応答と献身を起こしておられるのか、そして今回の奉仕の何が欠けているところで、足りない自らの働きに主はどのように補おうと働いておられるのか、キャンプ期間中の交わりの中で聞いていく。
そして、その交わりを通して、すでに準備した説教原稿が大きく動き出していく。(もちろん釈義は変わらないし、大筋は変わりはしないが。)

そのために特に大切なのは、このキャンプを準備してこられた委員の方々との交わり。
彼らは誰よりも祈りを積んで、このキャンプに望んでいる。
その祈りと願いの上にキャンプは建てあげられている。

1ヶ月前の準備委員会にも参加させていただき、その意図と祈りについても聞いてきた。
その祈りの答えを、委員の方々が実際にこのキャンプのなかで見ているのか、もしくはそれを大きく上回る恵みを体験されているのか、このレスポンスが説教者としての自分の働き方を正してくれることとなる。

今回のYS委員、また青年委員の牧師の方々は、本当によくレスポンスしてくださった。
そしてそれはあたたかく、励ましに満ちたものであった。

何気ない立ち話のなかで、導かれる説教のいのちある言葉。
レスポンスのなかにある、光り輝く信仰告白の言葉。
自分がおかれている日常、牧会の現状を正直に分かち合ってくださるなかにある、聖霊の働き。

それらが集約されて、2回目、3回目の説教へと繋がっていく。


インマヌエルYS

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インマヌエルの全国青年大会。会場は聖宣神学院。
多くのKGKの卒業生も入学し、きよめ派の神学校の砦とも言える神学校である。
今回は神学校の寮を宿泊会場として、全国からインマヌエルの青年達が横浜に集まった。

テーマは「教会ってそれほど大切なの?」なんと衝撃的、且つ重要なテーマなのだろうと思いつつインパクトを受けた。そして「自分が、この大切なテーマを本当にお引き受けしていいんだろうか」と躊躇も覚えたほど。

しかしKGK卒業生の牧師方、キャンプの準備委員の方々が、「是非ともKGKで語っている教会の大切さをそのままお話しください。」と今回の機会を与えてくださった。
なんという喜び。

KGKは60数年の歴史で、教会に祈られ、教会から遣わされKGK運動をすることを大切にしてきた。
もちろんある時代や、ある地域、ある学生においてはなかなかこのスピリットがうまく理解されず、教会を建てあげることを損なうようなことも起こってきたことだろうと思う。
しかし私が学生時代にKGKで得た恵みの最大のものは、「教会を愛すること」「教会を建てあげる側に回ること」を教えられたことである。

今回、なんと講師控え室・宿泊室として用意してくださった場所は、聖宣神学院教会牧師室であった。
この場所で祈りを積んでこられた歴代の牧師の方々を思い巡らしながら、備えのひと時を持つことが出来たことは大きな感謝であった。

さあ、どうなるYS!



日本イエスTBC2

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「大嶋先生、キャンプに参加している牧師子弟の話を聞いてやってもらえるかなあ。」


キャンプ期間中の最終日夜、僕は牧師子弟、3人の話しに耳を傾けた。

N先生は自分のこども達に
「お前らもお父さんに話せへん話しがあるやろ。大嶋先生んとこ行って、聞いてもらえ。」
そう言って、僕のところへとご自分のお子さんを送り出した。


凄い。


「親に話せない話を聞いてもらえ。」



牧師子弟達は、
「牧師の子どもがこんなことを言ったら、お父さんのことを変に思われるんじゃないか。」
と彼らは最大限の気を使いながら生きている。

父親のこと、母親のことを大切に思うからこそ、口をつぐんできたことがある。

同じ教団の「○○先生の子ども」とすぐにわかるキャンプだから・・・言わずに置こうと決めた事柄が、心の奥底に潜んでいる。


そして親である牧師はそれを痛いほど知っている。
そして自分の子どもの信仰の為に、口をつぐんできたことを話せる場所を作ってあげようとする親の信仰。

そうは言っても、「送り出したその先で、自分のことをどう言われるか、何を話されてしまうのか」
いろんなことに思いが巡るだろう。

しかし、子どもの信仰のことを尊重し、そして尊敬し、その場所へと送り出す牧師である父親の姿。

自分もまたこのような父親になりたいと心からそう思わされた。



最終日の月の綺麗な夜にベンチでお祈りした後、最後にこう彼らにお願いした。
「今度、いつか俺の子どもの話しを聞いてもらえるかなあ。頼むわ。」


「もちろん。『お父さんも必死なんやって』って言ってあげるよ。」と笑って答えてくれた。



日本イエス関東教区TBC

fuc01.jpg

きっかけは、昨年のJEA北海道会議。
分科会で発題をさせていただいた後に、「大嶋先生、今度是非。」と声をかけてくださったのが、日本イエスK教会のI先生。

TBCの会場は、日光鬼怒川にある日光オリーブの里。
源泉かけながしの温泉が堪能できる修養会に最適な施設。食事もいいし、できたばかりの新館は快適。
今回のキャンプは合計3回のメッセージに、1回の恋愛結婚のセミナー。
60名ほどの参加者たちは、どのメッセージにも真剣に耳を傾けてくれて、とても楽しい、豊かな交わりであった。

それと共に、最高に面白かったのが参加者やスタッフとの交わり。
日本イエスは神学校が関西にあるせいか、出発が関西だからか、関西弁ががんがん飛び交う。

特に顧問の牧師二人は、きっすいの関西弁。
講師でも何でも、いじれる!笑いになる!と思えるものは、徹底していじりぬく。
特に横浜のN先生は、どSか!というぐらいに「暗唱聖句クイズ」といじり倒された(もちろん、暗唱聖句が出来ていない私が悪いのだが・・・)
「おととしのA先生は抜群やったのになあ。今年ははなあ・・・」嬉しそうな顔で、ぐいぐいくる。

また顧問のI先生(先述のJEAで声をかけて頂いた先生)は、元暴走族でパトカーひっくり返した武勇伝を持つ人物だと途中で分かる。道理で目の奥がキラリと光っている訳だ。「なんでやねん。」の笑いながら突っ込む目の奥に残る悪かった空気感は、やはりなかなか取れないものだ(笑)。

しかし笑えるところは徹底して、笑いにもって行きながら、同時に集会における集中力は凄いものがあった。
メッセージの分かち合いも本気。魂に向かう姿勢も本気。説教に対する姿勢も本気。
日本イエスの霊性ここにあり、と思わせる瞬間を多々見せていただいたTBC。


怒涛の夏が終了!!!



ついに、やってしまった・・・。

ブログに広告を出さないことだけを心に決め(1ヶ月書かないと広告が出る仕組みらしい)、ブログを始めたのに!!!

しかし、それほど走りに走った夏だったということでしょうか。
甲府以降(これから一つづつ書きますね。)、京都への車往復、日本イエスキリスト教団のティーンズバイブルキャンプ。インマヌエル綜合伝道団の全国青年大会、そして車のエンジントラブル、さらにKGKの夏期学校、翌週もKGKのKBC、そしてその間の日曜日の礼拝説教の数々。さらに海外への出張・・・。

しかも暑い、熱い、篤い。
たまらなくいろいろな意味でアツイ夏だった。
(今も残暑?酷暑?は厳しいけれども)




さて、明後日辺りから本格的に秋に向かって始動します。




そういうことで、明日は休み!!!



ということで、ブログも明後日からでお願いします!!!


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