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KGK大嶋重徳主事の巡回日記

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聖霊の教理 NCのおまけ

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この春、どっぶり浸かって読んだのが、聖霊論の本。
NCでの分科会の担当が「聖霊論」であったこともあり、さまざまな立場の聖霊論の本や教理史関係の本を購入しては、読みまくった。
中でも隅々まで読破したのがこれ。ヘンドリクス・ベルコフの「聖霊の教理」

神学生時代に勧められて、OD版で再販されたものを、数年前に銀座の教文館で見つけた時に即購入。
しかし、しばらく紐解くことなく積読状態であったが、ここで熟読。

近所の岩盤浴のお店は、2時間入りたい放題で500円。しかも薄暗がりながら本はしっかりと読める。
最近、心して読み込みたい本を連れて、2リットル近い汗をかくことにしている。

ヘンドリクス・ベルコフのプリンストン講演を基にしている分だけ、読みやすい。
しかしその神学的洞察は今も色褪せず、時代の預言者となっている。
良い神学書は必ず時代と歴史に耐えてくる。そして時代を越えても、世界を読み解く力を持っている。

岩盤浴の岩の上に知らず知らずのうちに正座をしてしまう。
論の展開のダイナミックさに息を呑み、
救いの揺ぎ無さを覚え、三位一体の中におられる聖霊なる神の確かさに熱い感動を覚えた。


二時間後、外に出た時の風の涼やかさは言うまでもない。


4月からは中央大で、使徒信条の連続講解をする予定。
学生に語るための準備ではある。
しかしそこでの自分自身の学びが、何よりも自分の信仰を熱く、豊かにしてくれる。
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吉澤主事、派遣送別会


春。友人を送り出し、迎えることとなった。
その友とは、吉澤慎也さん。

関東地区から送り出し、東海地区主事として主事会に彼を迎えることとなったということ。

今日は家族ぐるみで付き合っている数家族が、都内の教会を会場に、お交わりと祈りのひと時を持った。
三連休の初日に、車は大渋滞。
40分ほど遅れ、冷や汗ものであったが、多くの家族が渋滞に巻き込まれていた。
30代のこの世代の移動手段はしょうがない。


プログラムはひたすら話す話す、食べる。
子どもは叫ぶ、騒ぐ、走る。


いいなああ。この世代になっても続く友情。
どんな瞬間も、学生時代と同じ空気感。話題に少し仕事がきついことや、体力が落ちたことが混ざり始めたけど。


今まで親しくしていた浜田主事が去っていく寂しさがあり、
吉澤さんが主事会に帰ってきてくれた喜びがる。


主事会は寂しさと喜びを、いつも春に迎え続ける。

安藤さん、ブイさん感謝会

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20年にわたる主事生活を終えようとする二人の主事と、その二人を送り出そうとする200名の卒業生達。

安藤さん、ブイさんを愛してやまない方々が、20年分の(いや安藤さんの学生時代から知る人にとっては、24年分の)感謝と思いを持って参加してくださった。


感謝会は、小○和正の「あなたに会えてよかった」のBGMに、お二人の主事生活の写真が流れ、しんみりしたり、爆笑が起こったり、「おおおおおー、」とどよめきが起こったり。


そしてプログラムの中心は、お二人のメッセージ。
惜別説教とも言おうか。
パウロがミレトでエペソの長老達に語ったごとく、KGK運動で「走るべき行程を走り尽くし」たお二人のほとばしる説教の言葉が、会場の響き渡った。
いずれの言葉も、お二人の人柄、生き方、そして信仰が体現された説教だった。
「そう、この言葉によって養われてきたんだよね。」と学生時代に二人の主事の説教を聞いてきた方は思ったのではないだろうか。

そしてその言葉を聞き、お別れの言葉を言う学生と卒業生の言葉にまた痺れた。
誰もがそれらの言葉に「うんうん、そうそう。」とうなづき、あるいはその光景を思い浮かべては大爆笑し、やがて会場はすすり泣きが起こり、ある者は嗚咽し、お二人との別れを惜しみつづけた。



そしてこの日、多くの人の記憶に鮮烈に残ったのは、スイスポップのカリスマデュオ、THEチューリッヒ。
OCC8Fホールは一気に、「スタジオパークからこんにちは」へと変わり、アンディとエスティーの登場で湧きに湧いた。

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お二人を愛する卒業生の強烈な振りに、軽妙に答え、且つ爆笑を引き起こすお二人の姿は、「どうだ、これが学生伝道だ。分かるか!!!」と最後の最後まで、主事魂を見せ付けてくれた。

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間違いなく、KGK主事会伝説(レジェンド)に入るだろう。



本当に長い間、素晴らしいお働きをしてくださって、ありがとうございました。

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派遣と学内

今回のNC講師陣は、全員同じ年齢。

見た目も、雰囲気も、全く違う。しかし共通しているのはKGK運動を担ってこられた同世代。
(中三トリオと同じ年らしい。全くピンとは来ないかもしれないけど。)

同じNCに参加し、同じくキリストに身をささげ、学内活動を関西、関東、北陸で行ってきた方々。
そのメッセージはいずれも学生を愛してやまない、KGKを愛してやまない、愛に満ちた言葉の数々。

4日目。400人のうねりの中で、山を降りる備えの日。
こんな非日常はそんなに続かない。天国の前味を十分に味わった私達は、いつものあの日常に派遣される備えに生きなければならないのだ。

高木主事のムーンウォークまで飛び出した説教のオープニングは、静かにそして徐々に熱を帯びていく。
学生を愛してやまず30年近くにわたる主事生活から生み出される言葉は、学生の心を確実にとらえる。

印象的だったのが、高木主事の講師紹介。
「僕はあまり高木主事のことを知りません。なぜなら多くの年上の人が自分の経験を語り、僕達を教え込もうとするのに対して、高木主事は自分のことを語らずに、僕らの言う言葉を聞いて、必要に応じたアドバイスをくれるからです。」
これこそまさしく、高木主事をよく知る学生の言葉。
派遣されることを拒もうとする学生に、どこまでも寄り添い続けてきた高木主事のメッセージ。

それは後輩の主事たちにも、主事論を背中で語っていた。



教会と献身 献身と教会

「私の2回の主題講演で与えられたテーマは、「教会」と「献身」です。しかしこれは切り離すことは出来ません。ですので、1回目を教会と献身、2回目を献身と教会にします。」

重厚な雰囲気のなかで始まった主題講演。
関東では主事会主催セミナーで日本キリスト教会史を解き明かしてくださった山口陽一先生。
最初の言葉に、参加者はすっかりとらえられた。

教会に生きる献身。献身に生きる教会。
この二つの言葉の間に、「生きる」という言葉を繋ぐとこの関係性がより深く理解できる。

教会を離れた献身の歩みは、いとも簡単に腐敗する。
個人化された献身は、カルト化した宗教性に道を開く。献身はいつの時代も、教会共同体のものである。からだの役割のなかに自らの献身があるのだ。

献身から離れた教会の歩みもまた、腐臭を放つ。
最早キリストが愛された教会の姿はそこにはない。キリストをかしらとするよりも、人間の大きな声がそれに勝っている教会の闇は深い。献身する教会に献身者は自然と生まれる。


KGKはどうだろうか。
主事会はどうだろうか。
自分自身はどうだろうか。

深い問いを与える言葉が、自らを思索に、いや祈りへと導いていく。


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NC 救いの恵み

NCの講師はいつも豪華顔ぶれ。
今年は聖書講解にルーテル神学校校長の正木牧人先生、主題講演「教会と献身」に東京キリスト神学校校長山口陽一先生、そして「派遣と学内」にわれらが高木実主事。

正木先生の聖書講解は、NCテーマ聖句第二コリント。
まさにルーテル色全開のメッセージ。改革派的な聖書講解に慣れた自分にとっても新鮮。
「どこを切っても十字架、どこを切ってもキリストの恵み」に満ち溢れたメッセージに会場が包まれた。

その赦しと恵みに満ちた説教は、学生時代にひたすら自分の罪に悩み、解決を自分の中に見出そうとして苦しみ続けていた頃を思い出させてくれた。

あの頃、ボクは
「自分は救われてもどうして、いつまでこんな罪だらけなんだろう・・・」
と自分を責め続けていた。

自分の中でクリスチャンとは「こうあるべき!像」を作り上げ、そこに自分なりに近づいていると思うと、そうは見
えない回りのクリスチャンを裁いた。しかし一旦、自分がそこからかけ離れた自分を見てしまうと、そのように生きていると見える人と自分を比べて落ち込んだ。

そしてつぶやく。「俺は駄目なクリスチャンだ。」
でも心の片隅で、自分が駄目なクリスチャンだと気がつけているだけでもまだまし・・・と思う、それでも尚自分にすがりつきたい自分の醜い姿がそこにあった。

自分で努力してクリスチャンぽく生きようとしても、どこにも出口は無かった。演じることだけがうまくなっただけ。KGKで出会ったルーテル教会の友達が「重ちゃんが駄目やから、イエス様が必要なんとちゃうん?」と言ってくれる言葉も耳を素通りしていった。

しかしそんな自分に大学4年生の頃、破綻が来た。自分の力では最早立てない限界。
破綻の只中で出会うキリスト。
救いは自分の外から来る。宗教改革の恵みがそこにあった。カルヴァン、ルターも出会ったキリストの恵み。

涙、涙、涙の大学4年生の春。

あの喜びは少しも色褪せず、輝き続けている。むしろあの頃よりも、深く自分の罪を知らされてきた分、その輝きは深く、そして鮮やかに輝くようになった。


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NC準備委員作成の力作ムービー!!!

NCのためにお祈り頂いた方に、お知らせ。

NC準備委員が作成したムービーがご覧いただけます。
最後の夜にリフレクション用に作成されたものですが、すごい出来栄えです。


こちらからどうぞ。

NC力作ムービー


400人の賛美と祈り

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400人が旭高原に集合。

参加者人数の伸び悩みが伝えられたが、無事にこの人数が与えられて感謝。


この日は、参加者の表情はやや硬い。それはそうだ。顔も見たことのない、知らない人たちと過ごす5日間。


開会礼拝が讃美歌「聖なる聖なる聖なるかな」で始まる。


いきなり400人の賛美が一つになる。


最前列に座ると賛美の声が後ろから押し寄せてくる感覚に陥る。
後ろから見ていると、強張った緊張感がほぐれていくのが分かる。
「ああ、本当に同じ世代のクリスチャン達ばかりがここにいるんだ。ここは神の家族だ。」という安心感がそうさせるのだろうか。


最終日、この「聖なる聖なる聖なるかな」の賛美がもう一度歌われる。

それは黙示録19章の二つのハレルヤのごとく、

初日以上の響きが大水の音、
激しい雷鳴のごとく


この会場にこだますることとなる。





その大群衆の賛美が生まれるまで、


400人の参加者は神の言葉に献身に促される経験をするのだ。


NC終了!!!!

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総勢400人のNCが終了。いや400人の出発、そして400人の献身が始まった。

少しづつブログで報告していきますが、今日のところはお祈りしてくださった皆さまに感謝のご報告まで。

ありがとうございました。

プロジェクトJ

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プロジェクトJを、東京が久しぶりに寒い夜に開催。


講師は小向潤さん。現在、医者。
彼は富山医薬大に在籍中、KGKと出会い、北陸地区KGKの歴史を担ってきた男。

話しかたはソフトで、穏やか。一瞬して、プロジェクトJの会場を彼の空気感に変えていく。
「この小さい者の一人にしたのは、私にしたのです。」
この御言葉をむねに小児科医として勤務し、やがて結核病患者の医療へと転進をはかる。
しかし問われてきたことは、信仰を持って生きるということ、とやはり穏やかに語る彼の言葉には優しい確信が満ちていた。

講演自体は30分。
集会は90分以上を計画しているのに、大丈夫か?と思いきや、出るわ、出るわの質問コーナー。
「仕事上で大きなミスをした時に、どうやって自分の中で整理し、取り戻すのですか?」
いのちに携わる大きな責任を与えられた医療従事者への鋭い問い。

「いい質問ですねー。」と穏やかに返しながら、しばらく考え込む。

そして

「神様、なぜですか?と祈ります。そして、神様がこの出来事を与えられた意味は、何なのだろうと考えることとしています。」


就職して8-9年が経つ今だからこそ、言葉にすることの出来たんだろうと思う。
1.2年目の追い込まれ、時間に追われ続けてきたときにはまだ言葉にならなかった幾つかのことを、神様はきちんと信仰の言葉に変えていってくださる。


卒業生達が卒業後、つむぎあげてきた言葉を聞ける豊かな時間。


終わった二人でお茶をしながら彼がこう言った
「今もあの時と変わらずKGKですねー。」

明日からNC!

明日から全国集会(NC)が始まる。

1993年のNCに1年生で参加。そして同じグループになった3年生の先輩と6年後には結婚することとなる。

続いてのNCは、1997年NC。あの日の丸君が代の戦いをしたNC。そしてKGKの主事になった年。

そして2000年NCは、主事を辞める年。「俺、リストラなんだ・・・」と親しい学生に冗談で言うと、「神様はきちんと道を備えてくださいますよ。」と慰められた。神学校受験のためにウェストミンスター小教理問答の単語帳を持参しながら望んだNC。

2003年NCは、神学校から参加。その年に主事に復帰し、北陸地区に赴任することが決まっていた。思えばあのNCで「男性の生き方」を担当し、今やライフワークに。

そして前回2006年のNCは、北陸地区から車二台で参加。神学校の恩師が講師。ひたすら自分の原点を振り返り、主事としての召しを取り戻させられたNC。翌年に関東地区に異動が決定。



過去のNCを振り返って、どのNCも自分の人生の大きな転機に繋がっている。

多くのNC参加者が、自分の人生に歩みに大きな意味を与えられてきたNC。

もちろんKGK運動的には、大きな集会だから特別だ、などというつもりはさらさらない。
あの小さな学内での聖書を学友と読み、友人の為に祈るあの祈り会の中にいつもKGKの特別がある。


でも、でもだ。
振り返る時に、不思議に語りかけられ続けてきた歴史が、ボクの中にある。


今回は何を受け取って帰るのだろうか。
参加する学生達ひとりひとりに豊かに主の取り扱いあることを祈る。


テーマは「キリストに生かされて」。期待に満ちた不思議な予感。

息子の誕生日

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息子の誕生日。
その数日前、パソコン前にいた私に息子が「お父さん、何か欲しいものある?」と聞いてきた。
「うーん、あんまり今はないなあ。」と答えると、
「お父さんの欲しいものを、僕がお年玉のお金で、何でも買ってあげるね。」と言ってくれた。
「ありがとう。」

しばらくしてリビングに行くと、「ぼくはみんなに何でも買ってあげるんだけど、みんなは僕に何を買ってくれるのかなあ?」と小さな声で、でも全員には確実に聞こえるボリュームで独り言を言った。


すごい。この打算的な感じ。


そして子どもらしいというか、何というか。
報酬ありきの愛。
人間らしいというか、何というか。愛くるしい我が息子である。

当日は娘がケーキを手作り。そして夫婦で息子の望むものを買ってあげて、宴は終了した。

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