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KGK大嶋重徳主事の巡回日記

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礼拝説教 M教会で

KBCから帰ってきた翌日、埼玉にあるM教会での礼拝説教。
ずっとKGKを支援し、献金してきてくださった教会。

行くと、「あの顔知ってる!」と思う顔がギターを弾いている。
礼拝後、声をかけようかなあ、どうしようかなあと思いながら、「会ったことがありますよね」的な声のかけ方をして、「いえ、ありませんけど。」と言われたらどうしようという思いが巡る。

可愛くデコレートされたギターに、「かわいいですね」と言ってみると、「はい。ふふふ。」と言われるのみ。
「やっぱり、違うか・・・。良かった・・・。」

そして昼食の時に自己紹介。
「わたしもKGKだったんですけど・・・。覚えてないですよね?会ったことはあるんですけど・・・」
「やっぱり!あるよね?いやあると礼拝中から思ってたんだよねー。」
「Hです。」
「ああああああああああああああ、思いだした!女子美だ!おおおおおおおおおおお、懐かしい!」
名前を聞くと一瞬にして思い出す大学名。
「髪型はもっと激しかったよね?」
「はい。」
美大ならではのファッションセンスを如何なく発揮していた彼女の学生時代もよみがえってくる。

卒業後、教師になりながらも忙しさのなかで信仰生活も沈んでしまっていたとのこと。しかしここ数年、浮き上がってきて現在、こちらで教会生活を送っているとのこと。
KGKの便りも引っ越し後来なくなって、「大嶋主事だ。懐かしいなあ、と思っていました。」とのこと。
さっそく、住所をお聞きし、卒業生会会報誌のコイノニアを送れるように手配。

こういう卒業生にお出会いできるのも、礼拝説教奉仕ならでは。
ブログをご覧頂いている方で、「最近、KGKから便りが来ないなあ」という方は、ぜひ事務所に一報くださいませ。
次号からお手元に必ずお送りいたします。

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2009KBC4

最終日…。

僕が言うことじゃないけれど、準備委員達は良くやった。100人規模のキャンプを半年かけて、準備するというのはハンパじゃない。

「水を汲んだ手伝いの者たちは知っていた。」キリストが水を葡萄酒に変えた有名な箇所にある言葉。
120リットル入りの水がめを6つ。
忙しい結婚式の真っ最中に、しかも葡萄酒がなくなったというピンチに、720リットルという720キログラムの重さの水をひたすら汲みつづけることがどんなに大変だっただろうか。

汲んでいるの最中には、「なぜこんなことをしているんだろう…。もっと他の所へ行って、葡萄酒を分けてもらうようにお願いしたほうがいいのではないか…。」と自分のしている行為に意味を見出すことが果てしなく辛くなってくる時間帯もあった筈だ。
しかし、マリヤの「あの方の言われることを何でもしてあげてください。」と言われる言葉を信頼し、「彼らは、水がめを縁までいっぱいにした。」

そして水が葡萄酒に変わった奇跡を目の当たりにしたとき、彼らはその秘密を知るものとなった。

夏の奉仕をするときに、もしかするうと「この夏かけた労力の意味は?」を問う時に、果てしない労苦の前に何も見いだせなくなることがあるかもしれない。「自分の夏はなんだったのだろうか」と思う時もあるかもしれない。「もっと他に時間を使うべきだったかも」と後悔することもあるかもしれない。

しかし、やがてこの経験は必ず意味を見出すことのできる日が来る。
「水汲むしもべは知っていた。」何故なら水を汲んだから。なぜなら水を葡萄酒に変えるのは、人間ではなく主の業だから。そして主は必ず水を葡萄酒に変えられるから。

夏期準、KBC準に祝福あれ。

2009KBC3

最終日の説教…。

キャンプ中、途切れることのない緊張感がからだを包む。

説教者の語る言葉に集中し、キャンプ期間中働かれる主の為される御業に思いを馳せながら、最終日の説教は生まれる。
もちろん、説教準備はしていく。釈義も行い、原稿を作ってキャンプ場へと向かう。しかしキャンプ中に説教は動き出す。日を重ねていくと、御言葉の取り扱いを受けて聴衆が変えられていく。聴衆が変えられていく時に、説教もまた動きだしていく。
聖書箇所が変わらないのに、動き続ける説教原稿。この説教原稿との格闘をひたすら期間中に行い続けるのが、最終日夜の説教を委ねられたものの努め。そして恵み。

そして最終日の深夜を迎えたころ、ようやく安堵の時がやってくる。
「はああああああああ」と深い嘆息をつきながら。


2009KBC2

Image3671.jpg

「まあ、それならちょっと座って話す?」
KBC中に幾つもある光景。期間中、自分の存在を問いながら葛藤し、苦しみ、祈り、声をかけてきてくれる学生たち。
そして、いつでも座れる準備をしている主事達。

「伝道者は忙しいと言ってはいけない」と、かつてKGKの理事長をされた牧師の名言。
「忙しいように見えると、『お祈りしてもらえますか?』と教会員は声をかけることができなくなる。牧師の本分を果たすことが出来ず、何に忙しくなっているのかは問わないといけない。」

心に刻んでいる言葉である。

キャンプ場のいたるところにあるベンチ。
いつでも祈りに入ることができるように、膝と膝を突き合わすように椅子は向きあって置いてある。
きっとさっきまで、ここで誰かが祈っていたんだろう。


2009KBC1

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夏期学校終了後、崩れるように眠った数日間を経て2日遅れでKBCへと向かう。
朝9時から始まるS先生の聖書講解を聞くために、早朝6時に家を出る。途中N主事をピックアップ。妻の作ってくれた二人分のお弁当を食べながら、再び松原湖へGO。

今回のテーマは「たくましいクリスチャン」少し80年代の匂いもするようで、古くて逆に新しい?このテーマ。KBC準備委員と担当主事のA主事っぽい気合いの入ったテーマでもある。
そして準備委員の考えたプログラムは、たくましいプログラム。
午前中に聖書講解が二コマ。60分弱の講義を2コマ聞く。1コマでエペソ書が1章進む予定。

S先生は、「この夏はKGKの夏期学校に全部使いましたよ!」と仰るぐらい講演レジュメは、60ページにわたる超大作。完全原稿に近い形で配布された。
最初にはエペソ書緒論もきちんとついていて、これは立派な注解書と言っても良いものであった。

この至福の講義を聞きながら考えたことは、聴衆として信頼されているということ。
説教者は、聖書をそのまま聴衆に提供する。それは素材をそのまま渡されるということ。この素材をどのように受け取り、口に入れ、飲み込むかは聴衆に委ねられている。
つまり聴衆は大人であることが求められる。

大人である聴衆として信頼されているという実感に包まれながら、説教を聞くという恵み。
学生を侮らず、敬意をもって聖書そのものでチャレンジしてくださるS先生の人格に深い尊敬を抱いた。

しかも先生は御言葉を語りながら、楽しそうだった。
御言葉を語る喜びがあふれ出ていて、最初は「難しいなあ」と思っていた参加者も、「楽しいかもしれない」と思ってしまうほどである。

学生時代、この堅い食物を食べるアゴを鍛える必要がある。
ハンバーグとスパゲッティだけでは駄目で、めざしやピーマンも食べなければならない。
そしてめざしを噛みつづけていると、その苦味の向こう側にあるうま味がわかってくる。
(子どもの時、大人がコーヒーを「おいしいなあ」と言っているのが信じられなかったのに、今やそのおいしさに気がついているように)。

たくましいクリスチャン。それは大人のクリスチャンになっていく営み。
そして大人のクリスチャンになれると信じて語り続けてくださる聖書講解の祝福に身を置き続ける営みである。

35歳の誕生日

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8月22日、足利義満とタモリと同じ誕生日である。(だからなんだ)
夕方、リビングに入るのを息子に禁じられ、誕生会の準備が進行している様子。

そして夕食時となり、リビングにお招きいただいた時に目にしたのは、
息子が切って盛り付けてくれたきゅうりとトマトとレタスのサラダ、ホットケーキを薄く焼いてミルクレープ風に誕生日ケーキを焼いてくれた娘と、そして妻の特製ハンバーグ。

どれもこれも美味しく頂いた。
そしてプレゼントの時間。今までずっと肩たたき券だたのが、今年は違う様子。
100円の小さなノートと、100円の水性ボールペン。
二人がお使いのお釣りをもらって貯めたお金で購入してくれたあたたかいプレゼント。

「お父さん、これでメッセージの時にメモしたり、何か思いついた時にこれに書き込んでね。」
そう言ってくれて貰った心のこもったプレゼント。
「大切すぎて、何も書き込めないよ」と思いながら、大切に机の引出しにしまった。二人の子どもの思い出を記していくことにしよう。

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2009夏期学校3

最終日、完全静思の時間を学生たちが持っている。

ふと見るとN主事も祈りをなしている。

N主事は新主事。つまり主事1年目。彼の奮闘ぶりを見ていると、10年前の自分を思い出す。
そして思う。「自分はこんなにちゃんとしていなかったなあ。」

いきがって、調子に乗っているばかりの記憶しか残っていない。夜遅くまで学生と話し込み、主事っぽいことなど何一つしていなかったように思う。
主事一年目の最終日の完全静思の時間、一人で大月湖に向かって時間を過ごしたことを思い出す。その時は確か自分の無力さと、その時何かやらかした失言を一人悔いていたように思う。
20代前半のしょっぱい思い出だ。

それから3年夏になると松原湖に通い、そこでの祈りの光景を重ねてきた。
結婚について考えたのも、松原湖だった。主事退職と神学校進学を決断したのも、3年目に入る春の湖畔での祈りがあった。


N主事にとって、この場所はどのような信仰の原風景になるのだろうか。

この夏期学校の参加者にとって、2009年夏のこの静まりの時はどのような意味を持っていくのだろうか。
その意味は、決して風と共に去ることはない。

2009関東地区夏期学校3

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夏期学校に家族で参加するようになって、6年がたつ。
当時、息子は1歳半。はいはいしながら、グループタイムを彷徨っていた。

赴任したばかりの北陸地区を、主事ひとりで担当しながら家族参加はハラハラドキドキ。準備委員会でいろんな事件が勃発して冷汗をかいていても、子どもは変わらず「おとうさーん」とだっこをせがむ。こちらの緊張感など読まずに、KY炸裂。集会中に泣き叫ぶ息子…。
父親が講壇に登った姿に「よっ、お父さん!」…落語の寄席かっと突っ込みを入れたくなるタイミングで声をかける娘…。

それでも、それでも家族で参加するのには訳がある。
クリスチャンホームを学生たちに見てもらうこと。(もちろん学生たちが僕ら家族にそんなに注目していないと思うけど…)

さらに我が家が立派なクリスチャンホームではないことは一目瞭然。

それでもぼくら家族が彼らの視野に入った時に、言うことを聞かない子どもを真剣に叱る姿も、一緒になってボートに乗る姿も、夫婦で結婚についての分科会の奉仕をする姿もとおして、学生たちが信仰をもって家族を築くとはどういうことなんだろうと考えてもらえたら…、信仰を持って夫婦を形成するとはどういうことなのかを考えてもらえたら…と願って、ぼくら家族は丸ごとさらけ出しながら夏期学校に参加する。

そうするのには訳がある。
それは僕らの先輩主事が、自分の家庭を見せてくれたから。家に呼び、食卓に加えてくれ、家族の祈りの場所を見せてもらった。その光景のなかで考えたこと、思いめぐらしたこと、祈ったことが、今の自分の家族形成に繋がっている。

つたない家族だけど、足りない父親だけど、欠けだらけの夫だけど、全生活で証しをしていたい。


それがKGKスピリットだから。

2009関東地区夏期学校2

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今回の講師は、Y澤S也さん。いやあああ、メッセージが良かった!!!!☆☆☆である。
一人の聴衆としても恵まれ続けたのだが、一方で「学生伝道の伝道メッセージとはこうするんですよ。」という伝道者としても教えられることが多かった。この夏、「罪について」どのように話すのかを試行錯誤している自分自身が居たのだが、Y澤さんのメッセージは目が覚める思いだった。
目新しいことを語るのではない。変わらない福音の王道を、変わらずに語りながらも尚、届く、届く。届いている学生の様子も、こちらに伝わってくる。
お招きしてよかったなあとシミジミと思う講師であった。

思い出すと10年前。関東地区主事会の席が隣で、同じ世代で、キャラは全然違っていて、賜物も全然違っていて、尊敬し続けてきた同僚。
そして今も尚、ボクから尊敬を勝ち取り続けてくれる友人。

友の説教で恵まれる。こんな幸せなことがあるだろうか。
深く教えられる部分で思わず「うーん」とうなり声を上げてしまうと、隣の妻も「やばい!深い!」と目でアイコンタクトを送ってくる。

夏期学校に来てよかった!と今更ながら思う主事生活。

2009関東地区夏期学校1

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夏期学校初日。

松原湖に家族で一足早く到着すると、夏期学校準備委員たちの緊張感が湖畔を漂っている。
特にいつになく新型インフルエンザの猛威が日本国内を襲い掛かったこの夏、キャンプ場入りする前に、検温があり、アルコール消毒がありと、初日の忙しさは例年以上。

今回の夏期学校の特徴は、初参加者と1.2年生が多いこと。
「KGK初めて」感がもたらすふわふわした緊迫感が受付周辺を漂っている。
しかしそれを打ち破ってくれるのが、4年生など上級生。

「初めて?」「学校どこ?」「俺も初めてのとき、緊張したんだよねー。」
気さくに声をかけて回っている。

この「気さくに迎える感」は、本当に大切。

この「気さくに迎える」感を作り出す側に回っている上級生は、学内活動を担ってきたメンバーであることが多い。
春に新入生を迎え、あるいは部室にノンクリスチャンの求道者を迎えてきた汗と涙、失敗と祈りが、「気さくに迎える感」を形成する。

この「気さくに迎える感」は、決して個人個人が持っている才能ではない。
たとえ人間関係が苦手であっても、本気でシャイであっても、人見知り大王であっても、与えられた出会いを神様から頂いた出会いと信じ、「交わりを迎える」賜物を磨いてきた者だけが身につけることが出来る感覚なのである。

この「気さくに迎える感」の貴重さを分かるためには、自分が迎える側に回らないと決してわからない。メンバー全員が迎えられることだけに甘んじているならば、その交わりは滅びる。

学生時代に、1.2年生達は、是非ともこの「気さくに迎える感」を体得して欲しい。
そして教会に初めて来た緊張している来会者に、「どちらからいらしたんですか?」と声をかける者へとなっていってもらいたい。


ナザレンティーンズキャンプ2

教団のキャンプに行くと、KGKの現役学生、KGK卒業生が教会で奉仕をする姿に出会う。
その姿を見るのが嬉しい。
KGKの超教派の心は、所属教会を愛する心だ。自らがキリストのからだの器官であることを、喜び、愛し、繋がることの生きるスピリット。

今回のナザレンキャンプでも、次世代の後輩達を愛し、ティーンズではなくなった学生が、卒業生が仕事を休んで奉仕をしていた。
KGKの交わりでもあまり言葉を発さないTもグループのカウンセラーに。
グループの交わりが脱線しそうになった時、「Tはなんでイエス様を信じようと思ったの?」と振ると、「うーん」と言いながら、高校生男子たちに伝わる言葉で、自分の証をしようとする姿がそこにあった。
心打たれるシーン。

またそのような若いスタッフの成長を心から喜ぶ、シニア?のスタッフの方々。
中高生の証しに涙し、若いスタッフの企画にハラハラしながらも落ち着いたフォローを展開し、「よかったじゃん!」と励まし続ける言葉で、教会の次世代は育っていく。
そしてそのような若いスタッフを見て、中高生達は「いつかは私もカウンセラーになる!」と決心していくのだ。

ナザレンティーンズキャンプ

EMFキャンプの最終日、それがナザレン教団のティーンズキャンプの初日。
つまり、キャンプはしご。
しかし最終日の朝はメッセージはなし。理事のM先生の説教を聞いて、元気になって藤野へ向かう。

まじめ

到着するとこの似顔絵がぐっと迫ってくるしおりを頂く。
現役KGK学生(美大)の描く似顔絵は、家族も絶賛。今後、支える会のレター関係はこの似顔絵を押していこうと思っている。

さて中1(13歳)からティーンと呼ばれる世代まで集まるキャンプ。
初日にフォーカスするのは、中学1年生。
彼らは初日のメッセージで心を閉ざすと、最終日まで心のシャッターは下ろしっぱなし。
「おおっ、このおっさん、なかなかおもろいやんけ。」
と思ってもらわないと、大切な集会の時間が台無しになる。

一人でこっそり、テンションあげつつ、集会室へ向かう。
初日はいつでも緊張するなあ・・・。

時が立つのは早いと思う・・・。

8月の大物イベント、夏期学校とKBCが終了して早10日。
すぐに始まる会議、面談、説教奉仕・・・。
体力の回復がままならなくなった30代後半に突入したこの時期、あっという間に10日など経ってしまう。
ようやく8月の疲れは回復したので、さあブログ、ブログ。
秋の涼しい風が深い眠りに連れて行ってくれるので、元気に9月が送れそうだ。

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