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KGK大嶋重徳主事の巡回日記

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感謝とおしらせ

今年も教会と卒業生の皆様の献金によって、支えられたことを心より感謝しております。

来年も一層、学生の傍らで、救いのために祈り、学生と共に福音を伝え、彼らの成長のために仕えて参りたいと願っております。
今後とも皆さまの祈りとご支援をよろしくお願いします。

さて「献金をしたいけど、昼間に郵便局には行けない」という卒業生の方から、「ネット上で献金できませんか」と問い合わせを受けておりました。

今までご案内しておりました「自動送金」は、安定した資金繰りのためには本当に多くの助けを頂いております。
今回はそれと共に、この冬からKGKの卒業生から頂いたアイデアで、クレジットカードから「PayPal」を用いたWEB献金をする予定でおりました。

しかし現在、手続きなどの準備に時間が掛かっており、ご迷惑をおかけしております。

そこで、ネットバンクをご活用の卒業生の方に、銀行口座を通しての献金も可能です。
ネットバンクをご利用の方は、以下の口座をご活用頂けますと感謝です。


みずほ銀行 九段支店 普通1151843
宗教法人キリスト者学生会


なおご送金後、以下のアドレスに確認メールをお送りください。
office@kgkjapan.net
①氏名、②住所、③献金内訳(例:冬季特別献金、主事指定、卒業生会費…)




今までお忙しい中、郵便局まで足を運んでいただかなければならないことを心苦しく思っていましたが、上記の方法もご活用頂けると感謝です。


これからもよろしくお願いします。

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忘れられないクリスマスプレゼント

毎年こども達にクリスマスプレゼントを渡す度に、こども達は「肩たたき券」「足もみ券」「手もみ券」「全体券(全部をマッサージをしてくれる)」をプレゼントしてくれた。

でもいつも最後は申し訳なさそうに、
「私が大きくなったらお父さんの大好きなラーメンと、お母さんの大好きなお花を買ってあげるね。」
と娘は言ってくれていた。


「ありがとう。楽しみに待ってるね。」


そして今年のクリスマスイブ、その日が来た。

お年玉を貯金していたお金をおろして、町の小さなカウンターだけのラーメン屋さんにボクら夫婦を子ども達が連れて行ってくれた。

注文を娘がする。
値段をじっと見ながら、お財布にあるお金で足りるか必死に考え込んで
「ラーメンを4つ。餃子を一つ下さい。」


「大丈夫。お父さん、餃子も食べれるよ。」とほっとした顔で、注文を終える。


あたたかいラーメンが届く。1杯450円のラーメンを4杯、カウンターに並ぶ。

「おいしいね。」そう言いながらラーメンをすする。

一皿5個の餃子を分け合いながら、また「おいしいね。」


「お父さん、お腹いっぱいになった?」と聞いてくる息子。
「ボクの餃子を食べる?」

「いいよ。大丈夫。お腹いっぱいになったよ。」


「会計をしてください。」
ラーメン屋さんのおばさんに練習をしてきたセリフを娘が言う。

おつりを受け取って
「ありがとうございました。美味しかったです。」
大きな声で言う二人の子ども声を後にして、ラーメン屋の暖簾をくぐって外へ出る。
クリスマスイブの冷たい空気が肌を通り抜ける。


「ご馳走様でした。本当に美味しかったよ。ありがとう。」


夫婦二人でこども達に深々と頭を下げてお礼を言う。


誇らしげな顔をして、「また来ようね。美味しいラーメン屋さんだったね。」
という子ども達の顔。


忘れられないクリスマスプレゼントになった。
明日は、妻のためにお花を二人で買いにいくそうだ。



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クリスマスランチ

クリスマスランチ

2月に主事の仲間が結婚をする。
二人の証人をボクら夫婦がすることに。大役だが生涯に渡る友人であり続ける約束だと思って、引き受けることとした。

12/24、二人が我が家に。
暫く4人で学びと分かち合いをする。
それぞれの「愛されている感じる言葉(愛され言葉)」を3つ。「悲しみを感じる言葉(悲しみ言葉)」を3つ。
相手の「愛されていると感じているだろうと思う言葉」を3つ。相手の「悲しみを感じているだろうと思う言葉」を3つ。
「これからかけて欲しい愛され言葉」を幾つか。

暫くそれぞれで作業をする。ボクら夫婦も久しぶりにする。
そして分かち合い。

相手の「愛され言葉」「悲しみ言葉」に関心を払い、集中することが大切だ。
ボクらはついつい自分が「愛されること」に関心を払いやすい。
また、自分の「愛され言葉」を言葉にして伝えることが大切だ。
ボクらは、ついつい「きっと分かっている筈だろう」と言葉にすることを怠けてしまう。

愛は伝わらないと愛じゃない。
愛は相手に届いて初めて愛となる。(届くまで時間がかかる愛もあるけれど)

ボクら夫婦は、向かい合うこと、祈りあうことを大切にしようとする二人の姿を見て感動した。
そしてボクらもまたこれからの夫婦生活を愛し合い、祈りあうことを大切にしていきたいと思う。

結婚して10年が経つ。
10年前よりも妻のことが愛しいと思う。

妻が作ってくれたクリスマスランチを、二人と共にしながら次回の学びは、二人の人生の背後にある幾つかの違いを分かちあっていこうと約束した。

ともだち

ともだちの家に行った。
突然だったが、彼の娘ここみちゃんと奥様にお会いした。

学生時代からの友人。
大嶋主事を支える会でも幹事をしてくれている。
「今度、一緒にフットサルをしよう。」いつも鍛えている彼のお腹は、ボクより引き締まっている。
本気で鍛えないと・・・。友達の言葉はモチベーションを上げてくれる。


いつも祈り支えてくれる存在が、ボクには沢山いる。
我が家に届くクリスマスカードにも「祈ってますよ」という言葉が綴られている。
どれだけ力になることか。

ボクも「祈ってます。」という言葉を大切にしたい。
そしてその言葉の約束どおり、「祈ること」を大切にしたい。

アナログ

基本的にアナログ・・・。
ブログもどうしたら写真がアップ出来るかも分からない。
でも試しに娘の祈りの手をアップしてみたら、でか過ぎ。でもどうやったら小さくなるかが分からない。

北陸地区の時も、現北陸地区主事の塚田さんに全てセットアップしてもらった。
今回のブログも主事の小川さんにセットアップしてもらった。
二人とも前職は、システムエンジニア。
持っている賜物が豊かなに生かされている主事たちに、助けてもらいながらブログも更新中。


クリスマスカード作りに、ひーひー言いながら今日がもうすぐ終わりそう。

家族で出席するクリスマス礼拝・・・

Image133.jpg
「家族でクリスマス礼拝に出るには久しぶりね・・・」
嬉しそうに言う妻の顔。

神学校を卒業して5年間。
毎年、クリスマス礼拝はどこかの教会でメッセージの奉仕が続いていた。
今日はいつも出席している教会での中高生クリスマスの奉仕があるために、出席教会でクリスマス礼拝を守る。

クリスマスに思い出すのは、数年前。下の息子が土曜の夜に突如発熱、緊急入院。
翌朝、妻が息子に寄り添い、ボクは下の娘を連れて朝マック(その年は12/25がクリスマス・・・泣ける光景)
そしてメッセージ。
娘は教会のお世話になっている伝道師の方の膝に座って、「メッセージをするお父さん」という絵を描いていてくれた。
その夜、病院のベッドにチキンを買って、家族4人のクリスマスを祝った。

家族が伝道の現場に送り出してくれる。
家庭礼拝ではいつも
「お父さんの仕事が守られますように。」(息子)
「お父さんが疲れすぎないようにしてください。」(娘)
「多くの学生さんにイエス様の話を沢山出来ますように」(妻)


家族の祈りが、ボクの力だ。

クリスマス東京女子大

18:15に東京女子大正門前で待ち合わせ。
バスはその少し前の18:05に到着。「少し待つか・・・」そう思ったボクの目の前には、東京女子大の学生がクリスマスイルミネーションに彩られたキャンパスのツリーを背景に、流れるように歩いてくる。

違和感・・・。

臙脂色の制服に身を包んだ守衛さんがこちらをちらりと見てくる。
「早く迎えに来てくれー。」久々の緊張感。

「主事、早かったんですね」そこにリーダーのかなえちゃんが迎えに来てくれる。
事前に講師として学校に登録してあり、名札をもらって学校に入る。
主事生活初の女子大でのクリスマス。
あたりの前のことだが、男性がいない。不思議な空間でメッセージ。

チャペル前で配ったチラシを見て、参加してくれた人もいて、15名のクリスマス会。
手作りサラダに、手作り鯛焼き。もてなしの心があたたかい。

ミッションスクールならではか。祈りにも聖書にも抵抗感がなく、真剣に耳を傾ける空気感が満ちている。いやいや、彼女達が一生懸命この日のために祈ってきたからだろう。神様は実にあたたかいクリスマス会を用意してくださった。また明日の日曜日には、洗礼を受けるメンバーも起こされた。
初めて参加してくれたメンバーが4名ほど。続けて参加してもらえることを心から祈る。


TCFの活動は、いきいきと輝いている。


TOYOTAカップ

よき知らせは昼休みに届いた。「今晩のTOYOTAカップに行きませんか?」

行く予定だった方が急遽キャンセルになったということで、お誘いの声がかかったのだ。
外は雨が降り、防寒の用意も何も無いのに声を張り上げた。
「行きます!!!」
TOYOTAカップ。世界一のクラブが決まる凄い大会なのだ。

今夜の試合は、準決勝の北中米クラブチャンビョンの「バチューカ」 (メキシコ)と南米チャンピョンの「リガ・デ・キト」(エクアドル)戦。白熱した試合は2対0でリガデキトの勝利。
ゴールがすぐ目の前の席で、本当に目の前で2点が決まった。あらん限りの声をあげて、吼えに吼えたことは言うまでもない。


試合中、リガデキトの若き司令塔21番が持つと空気が変わる。
チームが一斉に走り出す。
グランドが期待に満ちる。

「何かが起こるぞ。」

世界でも凄いと呼ばれる選手は、ボールを持った瞬間に「何かが起こる」と敵も味方も観衆にも思わせる力がある。
敵も味方も観衆も高い集中力を持って、彼がイメージし、彼の「見えている世界」を想像するのだ。

グランド上では年若き司令塔のイメージする世界に、彼よりも年上の選手があわせて動く。
彼らは若い司令塔の「見えている世界」をイメージしながら、必死に勝利に向って走り続けている。


学生と主事は、学生伝道という名のグランドで同じ目的のもと戦う同労者だ。
ボクは自分よりも若い学生達の「見えている世界」に集中力を高めて、学生達の賜物が生かされるために、「走り」続けていたいと思う。
彼らから出されるイメージ豊かなパスに、「走って」いたい。
時には自分のイメージするパスが思ったように来ないこともあるだろう。
無駄に思える走りだと思える時もあるだろう。
でも自分が走り続けることで、若い彼らに伝えることがある。

ボクもまた学生の頃、自分の出すパスを期待して、走ってくれた先輩がいた。
先輩に期待の答えることの出来ないパスをしても、彼らは何度も何度も戻ってはまた駆け上がってくれた。自分を信じて。次の時代を共に築く仲間だと尊敬をして。
その背中こそ、今、主事をやっている自分が追いかけている背中だ。
その背中にこそ、彼らに伝えるメッセージがある。


ボクは試合の途中から、リガデキトの若き司令塔のプレーにあわせて、ひたすら走り続けるサイドバックの選手だけをずっと見つめていた。



主事の祈り会

主事会の祈り会は静かで、熱い。

通常10時に集まり、主事の一人が同労者に向ってのメッセージ。
お互いを知り、祈りあっているものだからこそ生まれるメッセージは慰めと励まし、
そして悔い改めに満ちている。
その後、一人一人担当している学校、ブロック、委員会の祈りの課題、そして自分が教えられていること、自分の内側にある痛み、葛藤を分かち合う。
そしてその分かち合いを聞いた後、もっと祈れるように幾つかのことをたずねあう。
そして祈りに入る。
一人、40分ぐらいはかかるだろうか。
それを8人の主事達が、順番に続けていくのだ。

この時間は、実に豊かな時間だ。
互いのことを知り合い、祈りあうことがこんなにも大切なのだ、
祈られることがこんなにも力となるのだ、ということを深く教えられる。

一ヶ月に一度、僕等は立ち止まり、互いの働きを眺める。
神様がどのように働いてい下さったかを。

主事は誰よりも祈り会の豊かさを知っているべきだし、
この豊かさを学内で学生達と共有していきたいのだ。

教会のクリスマス2

土曜の午後、教会学校のクリスマスを途中で抜けて、
東京のある教会の青年会のクリスマス会のメッセージに向う。

その教会は、KGKのメンバーも多数いる。

メッセージも終わり、ティータイムに入った時、
同じテーブルになったひとりのクリスチャン学生が、
「俺、教会に来るきっかけはU一なんですよ。」

U一は、KGKで淡々と活躍するメンバー。

「金曜4限の授業が同じで、
仲良くなった頃、『俺、教会に行っているんだよね』と普通に
言い出したんですよね。

「ある時、俺が下ネタ丸出しの話をU一に振ったら、
『そういうのは神様が喜ばれないから』と淡々と言いやがって・・・

それで俺『なんだ、こいつ』と思って何度かあいつを堕落させようと
試みたんですけど、駄目で・・・。

ぱっと見たあいつのキーフォルダーに「I LOVE ○○」と書いてあったから、
『何だよ、結局こいつもやることやってんな』と思ったら、
○○にJESUSって書いてあるんですよ。」

「それでしょうがねー、こいつにあるもんを見てやろう
って思って教会に来たんですよ。おかげで俺もクリスチャンですよ。」

U一の話でひとしきり盛り上がっている途中、うしろを見ると、
今日もU一は初めて教会に来た参加者に何か熱心に、そして淡々と話しかけていた。



教会学校のクリスマス

教会学校のクリスマスに、娘の小学校の友達と、
息子の幼稚園の友達が来てくれた。

子どもの頃、自分が教会に行っているとなかなか言えなかった思い出がある。
小学校に入ると、回りにクリスチャンは誰一人として居ない。
あんまり日曜日に教会に行っているのは珍しいのかな、
変なのかな、そう思うようになった。

娘も小学校の入った頃、「教会に行ってるよ、って友達に言ってる?」と聞いた。
「ううん。言ってない。だって、誰も行ってないから・・・」
戸惑い気味の、そしてお父さんが伝道者なのに悪いかなあという顔も少し含みこんで、寂しそうに言った。

小学生の頃の自分の気持ちを思い出した。

すると妻が、
「えーっ、でもお母さんは公園でお母さん友達のみんなに
『うちの主人はキリスト教の牧師なの(KGKでは説明しづらい・・・)』と言っているよ。
そしたらみんな、『わー、凄い。かっこいい~』って言ってくれるよ。」

娘の顔がぱっと晴れやかになった。
「そうなの?」
「じゃあ、わたしも言ってみよ。」

そうして娘は友達達に、教会に行っていること、教会でハンドベルをしていること、イースター、クリスマスにはお楽しみ会があることを話し始めた。
そして今回、大切な親友が教会に来てくれた。


教会のいろんな場所を友達に紹介する娘の顔は輝いていた。


中央線ブロッククリスマス

今日は中央線ブロッククリスマス。
学生それぞれが持ち寄り、30人以上が集まる大パーティーである。
サンドイッチ、カレーピラフ、エッグタルト、キッシュ、アップルパイ、
から揚げ、イカリング・・・。その他にも沢山!みかん一箱のつわものもいた。

息子のクリスマスを終えて、急いでサツマイモ御飯とシチューを作成。
何とか間に合って、好評で感謝。

そしてメッセージ。東京フリーメソジスト教会の伝道師の野尻先生。
かつての明治大KGKの立役者。
学生を愛し、クリスマスの訪れを、受け入れ、留める恵みについて語ってくださった。

ブロック役員の3人も大活躍。
楽しい背後で忠実に奉仕をしてくれる姿は尊敬。
何度も買い物に行ったり、迎えに行ったり、ゴミを持ち帰ったりと、本当にエライ!
学生の主体性を見る時に、次の時代もこの背中が伝わっていくんだなあと
シミジミと思う。

教会を出るときに、「2月の中央線ブロック合宿は、4年生のKGK卒論として何か分科会を担当してもらわないとね」
という話をそこにいた4年生たちにすると、
「えっ、どんなことですか?」
「うーん、たとえばKGKスピリットとかかなあ。」
「ああ、それだったら、大丈夫。」
自信に満ちた答えが返ってきた。
ここにも福音に強く生きてきた四年間の確かさがある。
この4年生の確かさが、次の時代の土台を作る。



息子のクリスマス

今日、息子の幼稚園のクリスマス会に参加した。
年長になった今年は、聖誕劇。

ヨセフ役の重責のために、朝から「ねえ、お祈りして。」
5回も祈りのリクエスト。
「祈り深い息子だなあ」と尊敬。

妻が「この劇はね。イエス様におささげする劇なんだよ。
お母さんも一緒にお祈りしているからね。」妻の励ましを受けて
息子は幕の向こうに旅立った。


そして劇の途中も落ち着いて長セリフを語りきった。

大きくなったなあ、とシミジミと成長を与えてくださった神さまに感謝をした。

それにしてもヨセフの役をするとは。
ボクは羊飼い3の役しかやったことがないのに。
セリフは「そうだ、行こう、行こう」だけだった気がする・・・。



早稲田クリスマス

教会訪問が終わり、早稲田クリスマスへ。
高田馬場に早く着いた為、エクセルシオールで。
説教の最終チェック。

今日クリスマス会を行う教会は、旧知の知人が牧会している教会。
早稲田KGKのために場所を開放してくれて、感謝。

時間になると続々と参加者が。
御茶ノ水ブロックの学校からも参加あり。学校を越えて助け合う姿が
ここにもある。

そしてお手製の料理が振舞われ、ゲームで交わりは盛り上がり、
キャンドルサービスと御言葉の朗読で、静けさを取り戻す。
そしてメッセージ。
始めて教会に来てくれた学生も真剣に耳を傾けてくれて感謝。

終わった後のティータイムでは、初参加者の彼と
カント、ヘーゲル、フォイエルバッハ・・・。何人かの哲学者の話をしながら、
メッセージの分かち合い。

学友への真剣な誘いかけの中で持たれた今日のクリスマス。
早稲田の情熱を覚えた。


さあ、明日は中央線のクリスマス。

教会訪問

主事の仕事に教会訪問がある。
KGK運動を諸教会に理解して頂き、KGK運動に学生を送り出して頂くためだ。

通常、教会をお訪ねするのだが、今日は「御茶ノ水に買い物があるので」と
埼玉にある教会の牧師と、お昼御飯も一緒にしながらの交わり。
KGKで活躍している学生の報告したり、教会での様子をお聞きした。

実は今日お会いした牧師は、主事になったばかりの1997年、
担当の伊勢崎線ブロックの4年生だった学生でした。
卒業後、彼は神学校に行き、開拓教会の牧会を始めた。

彼の牧師の視点から見る学生伝道の視点は、鋭くそして愛に満ちている。
地に足の着いた教会形成から生まれる言葉は、私達主事を力づけてくれる。

「KGKは教会に必要な働きだと思いますよ。牧会に出てから、益々そう思います。」

そう言ってくれる牧師の言葉に慰めをうけた。
今夜あった日大クリスマスにも、彼の教会の学生が初参加している。

嬉しい関係だ。


ついにわれらが安藤主事のブログがスタートしました。
その名も「漕ぎ出せ」。
90年代KGK卒業生なら誰もが知っている週間キリスト者の
人気連載のタイトルです。
ぜひ、チェックしてください。

http://riekoando.air-nifty.com/blog/



また事務局新主事の油木さんのブログも面白いですよ。
KGK事務所の日常から、IFESの交わりという世界へ広がる
ブログです。

http://kgkaburaki.blog55.fc2.com/

アイデンティティを失った男たち(1)

ある時、男子学生がこう言った。
「主事、自分は男性であることに自信がもてない。」


この日から、男子学生たちと「主が男性を創造された意味は何か?」
ということを問い始めた。


そこでまず直面したことは男性ゆえの罪深さ。
ドラマで出てくる夫のセリフはいつもこうだ。
「家のことはお前に任せたと言っただろ!!!」
自らの家庭における責任を放棄し、妻に責任転嫁。

アダムも同じようなセリフを神とエバに吐いている。
「あなたが私の側に置かれたこの女が、
あの木から取って私にくれたので、私は食べた・・・(創世記3:11)」。
私は悪くない。
神様、あなたがこんな女性を置かなければ、
私はこの実を食べることは無かったのに・・・。

先ほどまで「肉の肉、骨の骨」と語ったあの愛の言葉は一体どこへいったのか。
そして神からの助け手として備えられた妻を、「この女・・・」と蔑む。
何よりも平気で「神様、あなたのせいですよ」と語るアダムに、
悔改めの姿はどこにもない。
男性の責任転嫁と悔改めからの逃避行が、ここに幕を開けた。

創造の初め、神は男性にのみ
「善悪の知識の木からは取って食べてはならない。
それを取って食べる時、あなたは必ず死ぬ(2:17)」と語られた。
男性は、女性に、これから「生まれて」くる家族に、「増えて」いく共同体に、
神との契約を伝え、契約を守らせる責任があった。
男性が失ってしまったものは、
神様に責任を果たす姿勢、命懸けで契約を守る姿勢である。


まさにこれこそ、イエス・キリストの生き方に見られるものではないか。
ゲッセマネの園で「我が父よ、どうしても飲まずに済まされぬ杯でしたら、
どうぞみこころのとおりになさってください。」
と血の汗を流しながら祈り、
自らに託された責任から逃げ出さず、
ただ真っ直ぐに十字架の道を歩いていかれた。
そしてサタンの「全世界を手に入れられる」という甘いささやきからも、
神の言葉である剣をもって誘惑に打ち勝たれた。
「ご自分を無にし、仕える姿を取」られたキリスト。
さらにこの時代、蔑まれていた女性を愛し、
愛の言葉を語られたキリスト。
この方にこそ、創造のはじめに神が創られた男性のアイデンティティがある。


このキリストの生き方が、私たち男性の生き方の基となっているだろうか。



ともだちと鰻

学生時代の友人が昼ごはんに誘ってくれた。
午前中の仕事を早めに切り上げ、御茶ノ水で待ち合わせ。

行った先は神保町の鰻屋。名店「かねよし」
奢ってくれるという友人の太っ腹さに感激。
タレにコクがあり、歴史を感じる味。

彼とは学生時代の付き合い。
あの京都の汚い寮の自室で、
彼が信仰告白した時から、もう15年経つ。

彼もまた先月父親になった。
同じペースで年を重ねることの出来る友人との時間は至福だ。
関西弁で話しまくり、一気に京都の頃の光景に戻る。

「神保町って京都に似てるな」と彼が言った。
「あほか、それは俺ら二人が一緒に歩いているからやろ」
そう突っ込む自分の言葉に、いつでも人生の同伴者となってくれる
友人の存在に感謝。

友との時間は何よりもの御茶ノ水グルメ。

牧会塾

今日、牧会塾のプレスクールに行ってきた。
KGK主事の大先輩が二人も講師になっておられた。
どの講義も全て参加してみたい、そんな思いにさせられた。

会場は満員。
牧会の現場に立ち続けておられる先生方の気迫と祈りに満ちた
集まりだった。

KGKの働きは教会をたてあげる働きだ。
学生時代だけKGKで元気な学生を育てるために主事をしているのではない。
同労者として尊敬する学生たちが、次の時代の教会を担い、
そこで福音主義に生き、教会を愛し、主体的な信仰を持って、
全生活を通して証に生きる、骨の太い、息の長いキリスト者学生が
生み出されていくためにKGKはある。


今日集われた牧師から祈られるKGKでありたい。
牧会の業を委ねられた牧師のために祈るキリスト者学生でありたい。
牧師と共に教会の矢面に立ち、
キリストの教会が教会であるために、いのちをかける信仰者が生み出されて欲しい。

そのために、今日自分の為すべき仕事は何か?
そう考えさせられた一日だった。



救われた感じがしない…」

「救われた感じがしない…」学生がポツリと発した。

学生たちは、フィーリングを求めている。
赦された感じが不足している故に、神の赦しが自分だけには降り注いでいないと
神の仕打ちに傷ついている。
彼らの鋭敏な感覚が救いの確かさを量る物差しだ。
彼らの繊細さを満たすものこそ「愛」だと感じている。

この傾向は学生達だけだろうか…。
最近の傾向だろうか。
いやそうではない。
学生伝道の現場に立つ私もまた学生時代、私の感覚を十分に
満たすものを求めた。
既に経験した充満された感覚を超える感覚を求めて
いくつもの集会を彷徨い歩いた。

日本人の宗教性は感覚が重要である。
しかし感覚を重要視するキリスト者は、
自分の心地よい感覚を阻害する存在を「霊的ではない」
として避けることを好む。

勿論、私は学生たちの感覚を否定しているわけではない。

憂うことは救いの根拠を感覚においていることに
何の問題も気がついていないことである。
私たちの視覚をもって、
聴覚をもって、
さらに触覚をもって
私たちが目にし、耳にし手にすることの出来る唯一の根拠は、
神の言葉である聖書にあるということにいかない限り、
「救われた感じがしない」学生の苦悩は永遠に続く。

キリストのリアリティーが差し出される
聖餐と神礼拝に連なることを止めたところに
「救われた感覚」は決して訪れない。

躓かせる感覚をあまりにも多く感じる教会の中にこそ、
あなたの救いの確かさを満たす感覚をある。
それはキリストにある和解の感覚だ。

御言葉はあなたの感覚に支配されず、
あなたの意思と感覚を支配する。
それはキリストの十字架と復活における神との和解に
あなたの言動を支配する。

あなたの傍で学生はキリストを外れた感覚を求めてはいないか?
あなたが感覚に支配されたキリスト者ならば、
学生はそれを必ずあなたに倣う…。

主の日

アドベントも第二週に入った昨日は、吉祥寺にある教会での説教奉仕。

この教会は朝が早い。
第一礼拝は7時半から。
余裕を持って教会を到着するには、家を5時半には出ないといけない。

第一礼拝後、朝食をとって10時半からの礼拝に備える。
そこでは「私もKGKをやってましたー。」という大先輩にもお会いした。
嬉しい。

お昼を第二礼拝の皆さんと食べた後、
4時半から始まる最後の礼拝をひたすら待つ。
サンセット礼拝と呼ばれる4時半からの礼拝には、若者達が
沢山集っている。
KGKでも顔見知りなメンバーが沢山集まっている。


合計3回の説教奉仕を終えた後、
体の隙間からプシューと煙が出てくるそんな疲労感と、
礼拝奉仕から与えられる恵みに満ち足りるそんな喜びが心を占める。


こちらが3回の同じ説教をしたとしても、
その礼拝に集われた方にとっては、
出席する礼拝がその方にとっての、今週なくてはならない大切な礼拝。

礼拝者たちの真剣な姿勢が、説教者に新鮮な思いを吹き込んでくれる。
礼拝は神の御前の共同の業だと強く自覚させられた一日だった。
幸いな一日だ。

煙は出たけど。



なごやめし

味仙。

味の仙人と書いて、「みせん」。名古屋藤が丘にある名店。
名古屋名物、台湾ラーメン発祥の地。
主事会運営委員会のために名古屋出張、今回遂に来店。

このラーメンは未踏の山であった。
某H牧師(元主事)から、「一度、大嶋さんに食べさせたい」と言って
頂きつづけた大きな山だった。
一度はお持ち帰りの台湾ラーメンを、金沢の自宅まで届けて頂いたこと
がある。
その時もうまかった。
しかし、本当に旨いものはその場所で食べないといけない。
その味を知るには、少し油でべとつく中華料理屋の床の上で食べないといけない。


未踏の山、味仙のオープニングは、「青菜炒め」から始まった。
一歩、また一歩と足を踏み出していく。口の中に広がるにんにくの香りと
青菜のしゃきしゃき感。ここで既に、味の仙人の妖術にかかり始めている。

そして「海老のマヨネーズ和え」。ここで一気に尾根に上がる。
眼下に広がるフルーティーなマヨネーズ、そしてぷりぷりッの海老が
味仙の尾根を跳ねあがる。

続くは目の前にそそり立つ「酢豚」の崖。
野菜の姿はほとんどない。
文字通り、甘酢に絡められたカリカリに揚げられた豚のみ。
ここでは野菜は最早、生息不可能。


崖を必死の思いで登りきった後、ついに台湾ラーメンが登場。
カルデラのごとく噴火口になみなみと満ちる真っ赤なスープ。
ひき肉の溶岩が韮と麺をいまかいまかと飲み込もうとしている。
一口スープを口に含んだ瞬間、頭皮の毛穴が一気に花開く。

味の仙人があらわれた。
「辛い、やめたい」「でも、やめられない・・・もう一口。
ああ、やっぱり辛い。でも・・・」
目の前がやがて辛さのあまり目がかすみ始める。
汗がしたたり落ち、口の中は燃え盛る火のよう。

しかし気がつくと、スープを飲み干し、空っぽ。
しかし未踏の山を登りきった充実感が器の中を満たしていた・・・。


恐るべし名古屋飯。

しゃべれどもしゃべれども

仲間の主事が、絵画評論をしている。

こちらは映画について。

夫婦で深夜、映画を見ることが大切な時間。
ここ最近の邦画の実力は益々あがっているかと思う。
お気に入りの映画についてはまた今度にして、
先日の説教演習とからめて落語家の映画「しゃべれどもしゃべれども」。
国分太一主演のこの映画は、二つ目の落語家が真打を目指す中での人間模様。
自分の説教者としての葛藤そのまま投影させられる。


当代きっての名手と呼ばれる落語家柳家小三治がこう言う。
「古典落語は古典それ自体が面白い。これを現代に届くのにどうするか、それが課題。」

明日の説教を思い巡らされる言葉だ。
御言葉それ自体が私達を救う。
そのいのちの御言葉を邪魔をせずに、この時代に届ける預言者としての使命。


小三治は毎度、「小さく、小さく」と言って高座にあがる。
持っているものしか、僕等は勝負できない。

人間が大きく見えないように、自分を大きく見せないように、
神様の豊かさだけが現れるように、御言葉の豊かさだけが現れるように。

明日の説教を祈りつつ。



突破

バルメン宣言の学びを続けている。
神学校の先輩で、都内の教会のA牧師が10回連続で
講義をし続けてくれている。
「告白に生きる信仰」と題して、この時代、日本に生きるキリスト者として
告白に生きるとは何か、学生達と真剣に考えたいと願い、主事会企画で始まった。
あの時代、ドイツで信仰告白に生きようとしたキリスト者がいた。
あの時代、この国で信仰の戦いを戦えずにいたキリスト者がいた。
この時代、この国で信仰の告白に生きようとする学生、卒業生が
毎度、20名から40名ぐらい集まっている。

今日は第6項。いよいよバルメン宣言の最終項である。

A先生の口から「突破」という言葉が何度かほとばしり出る。

「困難な状況の中に生きつつ、しかしその状況を過ぎゆくものとして透徹した眼差しで見つめ、さらにはその状況を覆し、その状況を突破する永遠の御言葉にのみ聞き従い、力ある福音に生きていくこと。これこそが私たちが神の御言葉から聞きとり、またバルメン宣言から学び取りたいただ一つのことなのです。」

この時代に信仰告白に生きるのにただ一つ大切なことは、
それは御言葉に聞き従うこと、
力ある福音の喜びに生きること。

ここをもって、この国で信仰の告白に生きる「突破力」がある。

御言葉の喜びに捕らえられた牧師の言葉が、
学生達に真剣に注がれている幸いな夜であり、

御言葉の喜びに生かされることを真剣に願う学生、卒業生の祈りが
キリストに向っている厳かな夜であった。





説教演習

今日は説教演習。
関東地区主事会中長期計画の主事研修企画である。

本日の説教者は3人。
与えられたテーマは、クリスマス伝道説教。

私達説教者は、「いいメッセージでした」か「・・・沈黙」の二種類の
レスポンスを受け取ることがほとんどだ。
厳しい評価を受け取る時は、もうその交わりから最後通告を受け取る?
ような危機にさらされている時となりうることも多々ある。

だからこそ、説教のレスポンスを聞く耳を育てられなければならない。
耳に痛い言葉を受け止め、成長する勇気を持ち続けなければならない。

批評する者にも実力が必要だ。
思ったことを口するだけならば、誰でも好きなことを言える。
しかし自分の発する言葉は、神学的に的があたっている言葉か、
釈義的に整合性を取れている言葉か、
説教者をたてあげる言葉か、
そして批評する自らが説教者として悔い改めと痛みを伴うほどの言葉なのか、
それらのことが問われるのだ。

しかし信頼できる同労者の言葉は、あたたかい。
厳しく、鋭い言葉であるが、尊敬と感謝に満ちている。
何よりも御言葉を期待し、説教を聞くことを喜びとしている
人たちの言葉だ。

今日、3つのクリスマスの説教を聞いた。
アドベントに入るのにふさわしい珠玉の説教ばかりであった。


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